- 連載 -
第8回 浪花の”いとはん”人情物語 =中=
小山美穂
 私の両親は住み込みで働いてるお兄ちゃんらの親代わりを務めてました。両親にとっては、我が子はもちろん大切やけど、よそ様から預かった子供たちはもっと大事。私ら兄妹は「お父ちゃん・お母ちゃんは、あんたらだけのもんとちゃうねんから、わがまま言うたらあかん」て、いつも言い聞かされてました。そやから兄たちは今でも、「雨降りの日の幼稚園への出迎え、お母ちゃんにはよう忘れられたでぇ」て、恨みごと言う時があります。母も「そやったねぇ。慌てて走って迎えに行ったら、あんた、セミみたいに柱につかまって、廊下中に響き渡る声でビービー泣いとったわぁ」て、ほんまに懐かしそうに笑うてます。

小山商店の兄ちゃんたち

 中学を卒業してすぐに小山商店へ来たお兄ちゃんは、農家の育ちやったから早起で、みんながお店に揃う頃には、ちゃ〜んと掃除を済ませて、お湯まで沸かしてくれてました。そうかと思うたら、田舎では箸にも棒にもかかれへん不良やから、「大阪で鍛えなおしてもらえ」て預けられたお兄ちゃんもいてました。そやけど、その頃の10代の男の子はまだまだ子供。ひとりで大阪へ来てたら心細かったんやろねぇ。「お腹すいた」て言い出せんと、夜中にしくしく泣いてるのに気づいて、母が翌日の朝食に買うてあったコッペパンを食べさせたげたこともあったそうです。

 結婚を考える相手ができたら私の両親のとこへ相談に来るのも、お兄ちゃんたちの間では不文律になってました。大抵は「本人が気に入った相手やから」て賛成するねんけど、ある日、”元不良”のお兄ちゃんが派手な女の人を連れてきたときだけは、ちょっとした修羅場になりました。「あの子だけはあかん。“公衆便所”(ひょっとして、放送禁止用語?)やていう噂やないか!あんた、だまくらかされてるんや!」(なんのこっちゃ、子供にはよう意味わかれへんけど、きっと、えげつない女の人やねんやろなぁ…)「なんば言うとっとかぁ! 旦那さんも奥さんも打ち殺っす!!」…お兄ちゃん、物騒な捨て台詞を残して飛び出して行きました。

 そやけど、頭冷やしたら”だまくらかされてた”ことに気づかはったようで、暫くしたらけろっとした顔で戻ってきました。その後、お兄ちゃんには似合わへんぐらいの別嬪さんで気立てのええお嫁さんもろて、故郷へ帰って商売を始めはりました。自称「小山商店・熊本支店」や言うてね…。そやけど青春の日のあの出来事が忘れられへんのか、孫までできた今でも、お酒飲んでは両親に電話してきて「あのとき、よう反対ば、して下さったとです。感謝しちょります」て、何べんも何べんも言うたはるそうです。

まだまだいてまっせ〜ピンクのラッパに赤ラッパ

 このお兄ちゃん、今で言う「キレやすい」タイプの人やったようで、武勇伝は枚挙に暇がありません。ある時、数人の不良に怪我させられた報復のために、樫の木を削って作った木刀を隠し持ってたんを母に見つかって、未だかつてないほどの逆鱗に触れました。「アホかいな!剣道4段がこんなもん持ったら凶器やないの。喧嘩するんやったら卑怯なことせんと、男らしいに素手でやりなはれ!」(なんや、喧嘩とめるんちゃうんかいな!?)…母も過激なこと言うてたけど、その雷に大きなお兄ちゃんが小さぁなって一生懸命謝ってた姿、ちょっと滑稽やったわぁ。それにしても、お店には刃渡り30cm以上の包丁や、凶器になる商品がゴロゴロしてたのに、それを喧嘩の道具に持ち出せへんていうのは、昔の若い子は手加減いうもんをわきまえてたんやねぇ。

 普段はものすごい気ぃ小さいのに、お酒飲んだら人が変わる酒乱のお兄ちゃんもいてました。夜中に警察から「おたくの若い人、飲酒運転で保護してます」て電話がかかって、父が慌てて迎えに行くと、そのお兄ちゃん、まだヘベレケで「うるさいっちゅうねん。この俺様を誰やと思てんねん。警察がなんぼのもんや…」て、くだまいてたそうです。父が平身低頭で謝って、何とか”お泊り”せんと帰らしてもろたんですけど、翌日、しらふに戻ったお兄ちゃん、お店の隅っこの方で小さぁなって、私や犬とさえ目ぇ合わさんと、一心不乱に仕事してはりました。

 お洒落にやたらと気ぃ使うお兄ちゃんもいてました。髪型は当時流行のリーゼントスタイル。あんまりきっちり整うてるから、しゃがんでるとこを後ろから触りに行ったら「いらうな!(触るな)」てマジで怒るねん。その上、なけなしのお小遣いはたいて買うた真っ赤なラッパズボン、本人は粋がってるつもりやってんやろねぇ。そしたら、別のお兄ちゃんも負けんように、ピンク色のズボン買うて来て、競うて履いてるねん。父も母も、「若い子の服装の趣味には口出さんとくわ」て苦笑してたけど、そんな服装で荷造りしてる姿、子供の私から見たらチンドン屋以外のなにものでもなかったわぁ。

よう”がんばるわ〜”お姉ちゃんたち

 まだ働く女性が少なかった当時、小山商店では女性の事務員さんを逸早く採用したことが、同業者の間で話題になってました。今思うても、ほんまに個性的なお姉ちゃんばっかりでしたよ。酸っぱいものが好きで、金柑ばっかり食べてるお姉ちゃん。子供好きで、何かと私の世話をしてくれるお姉ちゃん。太るのが嫌でご飯は食べへんくせに、びっくりするほど間食ばっかりするから、結局ダイエットに失敗して、どんどん太ってしまうドン臭いお姉ちゃん。美人で、男の人からしょっちゅう結婚申し込まれてるお姉ちゃん…。実は、金柑好きのお姉ちゃんには、それだけの理由がありました。ある日突然、無断欠勤したので父がアパートへ様子を見に行ったら、何と、赤ちゃん産んではったんです。スモックみたいな制服やったから、お腹が大きいのんわかれへんかってんね。今は「できちゃった結婚」も別に珍しいことないけど、当時はえらい騒ぎでしたよぉ。ふしだらや、いうて。そやけど、お姉ちゃん、負けてへん。ようがんばるわ〜(そっちとちゃうよ)。

 ちょっと残念な出来事もありました。毎日の売上金を帳簿と合わせるとき、少しずつ金額が合えへんことがしばらく続いて、全く原因がわかれへんかったんです。ある日、父が何となく気配を感じて金庫を見に行ったら、ちょうど、美人の事務員さんが小銭をくすねて(盗んで)るとこやったんです。美人はつらいねぇ。服を買うたり、男の人と遊ぶためのお金が欲しいて、毎日ちょっとずつちょろまかしてたんやてぇ。そのお姉ちゃん、現行犯を見つかって、次の日から来えへんようになりました。

 けどね、私、このお姉ちゃんから「美穂ちゃん、お姉ちゃんとお揃いやよ」て言うて、白い陶器に綺麗なフランス人形の絵ぇ描いたブローチ、もろたことあるんです。これも盗んだお金で買うたもんかも知れへんねぇ。実は今でも、そのブローチ、ほかすに偲びのうて机の引出しに入れたままなんやけど、見る度に、あのお姉ちゃんどうなったんやろ、幸せな結婚しはったんかなぁ…て何か胸が痛ぁなるんです。
=つづく=
(October 2001)

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