- 連載 -
第14回 美穂の”九死に一生”事件ファイル
小山美穂
 桜の季節やて言うのに、よう毎日、これだけ騒々しいニュースばっかり続くもんやねぇ。そやけど、春はやっぱり入学や就職などの嬉しい知らせが多い時季。束の間でも日常のゴタゴタを忘れて、明るい未来を想像したいような気分になりますね♪ けど、せっかくの明るい雰囲気に水を差すようですが、私は、ピカピカの1年生を見たら、「この可愛らしい子ら、果たして無事に大人になれるんやろか…」て、不安になることもあるし、新入社員たちが、夜の街で陽気に騒いでるのに出くわすと、「今みたいに危険が一杯の世の中、そんな浮かれとったら、しまいに怪我するでぇ」て、縁起でもないこと考えることもあります。これ、性格が暗いわけでも、心配性やいうわけでもないねんよ。私が幼い頃、無防備と無鉄砲のあまり、危うく命を落としかねへんような事件を起こして、楽しいはずのひと時を台無しにしてしもた“前科”があるからなんです…。
子ぼんのうな父
 それは、私が1歳4ヵ月を迎えたお正月、そろそろ伝い歩きを始めた頃のことでした。普段忙しぃに働いてる両親も、2人の兄たちも、朝からきちんと着物姿で勢ぞろいしてました。それまで見たこともないような豪華なお料理を囲んで始まった厳かなセレモニーに、私はすっかり有頂天やったね。やがて、みんなが「おめでとう!」て口々に言いながら、小さな容器に、何ともええ香りのする液体を注ぎ合うて、美味しそうに飲み始めました。

 私が指をくわえて不思議そうにじ〜っと見つめてたら、父がお箸の先にその液体をつけて、私にも味見をさせよとしてん。ところが母が、「お父ちゃん、お屠蘇(とそ)は美穂にはなんぼなんでも無理やわ」て止めるねん。えぇっ?なんでやのん?! 「そやなぁ…」父は、そない言いながら、母がちょっと目ぇ離したスキに、その不思議な飲み物をペロリとなめさせてくれました。父は日頃から、母が「歯ぁが悪ぅなる」とか、「躾に悪い」て注意しても、私が喜ぶ顔を見たぁて、こっそりチョコレートとか甘いお菓子を与える、ほんまにしょうのない父親やってんてぇ。
仏さんのおまじない
 私は、微妙に甘味があって舌が痺れるような、その禁断の飲み物に不思議な快感を覚え、「もっとちょうだい!」と父にせがみました。けど、さすがに父も「もう、あかん」て笑いながら、その後は手酌で一人で飲み始めました。「お兄ちゃんらも子供やのに、ちょっとずつ、もろてる。なんで私だけくれへんのん…?」私は、「あかん」て言われたらよけい欲しぃなって、諦めたと見せかけながら、みんなのスキをじっと伺うてました。やがて兄たちは、エビの皮をむくのに熱中し始めました。チャンス!…私は、ちゃぶ台の縁に沿って、まずは下の兄の脇に忍び寄り、そっと手を伸ばして、お猪口にちょっとだけ入った液体を飲み干しました。「ぷは〜。やっぱり美味しいなぁ♪」今度は上の兄のそばへ、ニコニコして誤魔化しながらにじり寄り、またそっとお猪口をとって、さっきより少し多めに入った液体を、一気に口へ入れました。今度も成功…。

 次は父の番…。父は、「黒豆食べたらマメになるんや」とか、「田作りは子孫繁栄の意味があるねんで」とか、おせち料理の“いわれ”を兄たちに説明するのに夢中やから、手元はノーマーク。しめしめ…私は、波々と液体の入った父のお猪口を難なくクリアしました。よしっ!最後は母や…ところが、母は目ざとく私の動きを察知し、私の手からお猪口を取り上げました。あ〜悔し!…と、突然、床がグルグル回って、顔がカーッと熱ぅなって、心臓がドクドク音をたて始めました。それから奇妙なことに、なんにも面白いことなんかないのに、お腹の底から笑いがこみ上げて来て、我慢でけへんようになりました。

 私はドスンと尻餅ついてんけど、それでもケタラケタケタと笑い続けました。あぁ〜笑いすぎて、息吸う暇あれへん…苦しい…。その後のことは、もう覚えてません。家族の声が、なんや遠〜くの方から聞こえて来るだけやったかなぁ…。

 「あぁ〜っ!美穂がぼくらのお屠蘇、全部飲んでしまいよったでぇ!」 「うわぁ、えらいこっちゃ〜。真っ赤になってるやんか。病院へ連れて行かな、死んでまうんとちゃうやろか?」と兄と父の声。さすが母は違います、「う〜ん…(と、冷静に私の脈や呼吸などを調べて)まぁ、ケラケラ笑ぅてるから、まだ大丈夫とちゃうかしらん。水飲ましてしばらく様子見よ。寝かしといたら、そのうち治るやろ…」結局、私はそのまま数時間、酔っ払いのオッサンみたいにグーグー眠りこけてたんやてぇ。

 母が危ういとこで気づいてくれたから、幸いにも急性アルコール中毒には至れへんかったようやけど、私は1歳4ヵ月にして早くも前後不覚の酩酊を経験し、しかも、えらい笑い上戸やということまで判明してしもたんです。ほなら、今はさぞかし酒豪やろ、て? ところが実は、かす汁飲んでも頬が赤ぅなるほどの超下戸。きっとあの時、命を守ってくれた仏さんが、「こんな娘にお酒飲ましたらろくなことないでぇ」て、お酒が飲まれへんようになる“まじない”をかけはったんとちゃうかなて、今でも真面目に信じてるねんよ。
たこの八ちゃん
 私はそれだけでは懲りひんかったみたいやねぇ。同じ年の夏、家族で若狭湾へ海水浴に行ったときのこと。民宿に着いたんは夕暮れ近く。初めて見る青い海に強烈に感激した私は、買うてもろたばっかりのピンクの水玉の水着、水色のストライプの浮き輪、黄色い帽子を身につけて、日が暮れて寒うなっても、いつまでもいつまでも波と戯れてました。

 その日の夕食がまた、刺激的なもんやってん。民宿のおばちゃんが「これ、おつくり(お刺身)にしますで…」て持って来はった壺の中から、生きたタコが脱走して、民宿の廊下をダダダダダ〜て走ってんよ!(少なくとも、子供の目にはそう見えてんもん)。それをおばちゃんが捕まえると、タコは8本の脚の吸盤で猛烈に反撃するねん。おばちゃんが吸盤をはがすと、ブチブチブチッと音がして腕には生々しい吸盤の痕。その壮絶な戦いの一部始終を目撃した私は、「へぇ〜、あの広〜い海の中には、こんなたこの八ちゃんみたいな謎の生き物がウヨウヨしてるんやろか♪」と想像すると、その夜は興奮してほとんど寝られへんかったんです。

 翌朝、まだ暗いうちから起き出して、私は「なぁ、海、行こ…」と家族を順番に起こして回りました。けど、誰も起きてくれへん…。私は待ちきれんようになって、自分で水着に着替えて、浮き輪を抱え、ひとり砂浜へ飛び出していきました。だれもいてない海は、ようやく昇り始めた朝日にキラキラと輝いて、それはそれは綺麗やったよ!浮き輪さえあったら、なんぼ沖へ泳いで行ってもへっちゃらやと信じてた私は、無謀にもジャブジャブ海の中へ入っていきました。

 ところが、その頃やっと目を覚ました家族たちは、私が寝巻をきちんとたたんで“失踪”してるから大慌て。民宿の周りをあちこち探し回ってたようです。そして、下の兄が何気なく窓から外を見ると、砂浜の方に、私のトレードマークやったピンと立ったちょんまげの先端だけが、ピコピコ見えてたんやてぇ!お蔭で私は、ほんまに危ないとこで救助されました。その時、もしも私のヘアスタイルが違うてたら、発見が遅れて取り返しのつけへんことになってたかも知れへんでしょ。そう思うたら、今でもほんまにぞっとするわぁ。
そやから・・・ね
 この2つの事件は、その後わが家で長きに亘って何十回も語られ、反省した私がなんぼ慎重に行動しても、「思い込んだら前後の見さかいなく突き進む、命知らず」ていうレッテルは決して剥がしてもらわれへんかったね。けど、もうちょっとで家族を悲しませることになったかも知れへんから、私は人の命がどれだけ大切で、どれだけいつも危険にさらされてるかていうこと、常に肝に銘じてきたつもりです。そやから、ええ陽気の下、若い人らが楽しそうにしてるほど、経験者としてつい余計な口出ししたぁなるんです。「嬉しいことがあって浮かれてるときにこそ、しっかり足元に注意せなあかんよ。親からもろた1つしかない命、大事にしてね」て…。
(April 2002)

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