- 連載 -
第21回 小 春 は ん(完結編)
小山美穂
小春が一番好きな季節は冬でした
 人里離れた山村での隠遁生活は、時間の流れまでがゆっくり感じられるほど、そらぁ平和で穏やかな毎日でした。そして、大自然が描き出す四季折々の美しい表情が、疲れ果てた小春の心を隅々まで清め、力づけてくれました。春は、遠く霞んだ山々が淡いピンクに染まり、夏には、珍しい野鳥や昆虫たちが鮮やかな緑の木々に集い、賑やかに鳴き競いました。栗や柿がたわわに実る秋は、印象派の絵画でも見るような上品な色合いの紅葉が心を和ませました。時折、野生の狸の親子が連れもって遊びに来て、小春に餌をねだることもあってんよ。

 小春が一番好きな季節は冬でした。純白の雪が、綺麗なもんも醜いもんも分け隔てなく包み込み、雪解けとともに、また“まっさら”な1年をスタートさせてくれることに、自然の優しさを感じたからやそうです。2人の家から隣家までは500m。歩いて20分かかるバス停には、1日3往復の便が通るだけ。食料や日用品の買い出しに町まで出るのも一苦労やったけど、庭で収穫した新鮮なトマトや茄子、大根が食卓に並ぶだけでも、2人にはご馳走でした。…まあ信次郎は、お酒のストックさえ切らせへんかったらご機嫌やってんけどね。

 けど、ここだけの話…小春は時々、信次郎に隠れて庭の隅で茄子をかじっては、幼い頃の和歌乃屋での暮らしを思い出して、ひとり涙することもあったといいます。

 信次郎と小春の楽しみは、月に1度、4人の娘らが賑やかな孫たちを伴ぅて訪ねて来ることでした。
 「もっと栄養摂らなあかんやないの!」「そんなボロッちい服ばっかり着てんと、こないだ持ってきた新しいのん着ぃな!」両親のあまりに質素な暮らしぶりを見かねて、娘らはついボロクソに怒ってしまいます。そんなとき小春は、子供みたいにシュ〜ンとなってましたけど、ほんまはその言葉に込められた娘らの深い愛情がちゃ〜んと理解できててんよ。

 孫の中で特に、雅子の娘・百合子と、美智子の娘・久美は祖父母の家が大のお気に入り。都会っ子にとって、信号も百貨店も、駄菓子屋もない代わりに、草木の香りに包まれて、自然の営みを肌で感じることのできる田舎は神秘の世界そのものやってんやろね。

 それに、小春が得意やった韓国料理も、孫らのお目当ての一つでした。信次郎も小春も、大きなカブト虫を捕まえたり、珍しい野草の押し花を作ったり、“特製・韓国風茄子の味噌煮”を山盛り作ったりして、可愛い孫らが来るのを心待ちにしてたといいます。

うち、ほんまに幸せ者やわぁ・・・
 人が一生のうちに享受する幸せの量は誰でも平等やそうやね。それに昔の人は「若い時の苦労は買うてでもせぇ」て、ええことを言わはったもんです。

 思えば、晩年に近づこうとしていた2人の静かな生活は、過ぎ去った波瀾万丈の日々を、きっちり埋め合わせしてくれているようにも思えました。

 「小春、しんどい目ぇばっかり遭わせて、すまなんだなぁ」
 「なんでやのん。うちみたいな幸せ者、滅多にいてへんわ」…半世紀以上も連れ添ぅてお互い初めて口にした、ちょっと照れ臭いねぎらいの言葉。明治生まれの男女にしてみたら、これだけ言うのが精一杯やってんやろね…。

 十年一日の如く時は流れ、一番下の孫娘・百合子も中学生になりました。小春は遠ぉに古稀を過ぎ、信次郎も既に傘寿を迎えていました。田舎の暮らしは、若ぁて体力のあるときは快いもんやけど、歳をとって体を動かすのが難儀になるとあちこちに不便が生じるもんです。娘らはいよいよ心配して、自分らのとこへ来るように勧めましたが、2人は頑として聞き入れず、この山里でこのまま天寿を全うできることを、ひたすら願うようになりました。

 幸い村の人らがみんな親切で、「娘らが来ん間に病気でもしてへんか」「困ったことはあれへんか」て、ちょくちょく様子を見に来てくれたり、畑仕事や買い物を手助けしてくれたりするのを、2人は心から感謝していました。

 信次郎は若い頃から健康にだけは自信があってんけど、間もなくそれが過信やったことが判明することになるねんよ。あんまり長いこと咳が止まれへんから、小春がお医者さんに行くよう勧めても、信次郎はずっと「風邪をこじらしただけや」て気楽に構えてたんですけど、ある日訪ねてきた娘らが無理やり町の病院へ連れて行ったら、喉の部分に悪性腫瘍、つまりガンが発見されたんです。

 しかも、長きにわたって不摂生を続けた体は、お酒の飲み過ぎも加わって、お医者さんが診た時はボロボロになっていました。「かなり進行しているので、手術をしても完治するとは限らない」ていうお医者さんの宣告を聞いて、その場で気を失いそうになった小春に、信次郎は冗談とも本気ともつかん口調で言いました。

 「大丈夫や。小春のことが気がかりやから、僕はまだまだ死ぬわけにはいかん」・・・。
それでも酒はやめられん!
 翌月、信次郎は大阪の大学病院で喉頭癌の手術を受けました。 手術は一応成功、けど、同時に声帯も摘出したため、声が出せんようになってしもたんです。神主の時も、駅長の時も、パン屋の時も、警察官の時も、信次郎を大いに助けてくれたあの美声を失ぅてしもた悔しさは、想像するに余りあります。しかも残念なことに、癌は既に全身に転移してたんやてぇ…。

 けど、弱音を吐くのが大嫌いな信次郎のこと、小春や娘らにもいつも笑顔で接し、逆に相手の健康まで気遣うほどの気丈さでした。病院に見舞いに来た孫らには、筆談でとぼけた冗談を言うたり、「人に騙されることはあっても、決して騙したらあかん」「情けは人のためならず」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」など、色んな人生訓を言うて(書いて)聞かせました。そして、「ようけの人に助けてもろたお蔭でこれまで生きて来られて、ほんまにありがたいことやった」と繰り返し言い続けました。

 こんな重い病気やったら、流石にお酒はやめたやろ、と思うでしょ?けど、数ヵ月後にやっと退院できたその日、信次郎がコタツの中に何やゴソゴソ隠してるので小春が見ると、なんとビールが何本も出てきてんよ。熱燗のお酒も冷たいビールも傷口にしみるから、苦肉の策でビールを人肌にぬくめて飲もぅとしたらしいねん。ここまで無茶されたら家族の誰もが泣き笑い、信次郎のささやかな我儘は咎められることはありませんでした。

 強い精神力の賜物で、信次郎の病は奇跡的にぐんぐん快復し、一時は元の生活を取り戻せたかのように見えました。・・・そやけど喜んだのも束の間、病状は以前よりも悪ぅなり、信次郎は再入院せんなんことになりました。

 この頃には呼吸もままならん状態になり、気道を確保するため喉に開けてあった穴からヒューヒュー音を立てて漏れる息遣いが日に日に弱ぁなっていくのを、小春は身を裂かれるような思いで見守るしかありませんでした。

 「昔うちが生死を彷徨ぅた時、信次郎さんが、自分の命と引換えに小春を救うて欲しいてお祈りしてくれたら、神さん、ちゃんと聞いてくれはったでしょ。どうか、うちのお願いもお聞き届け下さい・・お聞き届け下さい!」

 もう痛み止めの注射も焼け石に水、信次郎は割れるような頭痛を感じ、幻覚さえ見るようになりました。けど、声が出えへんから唸ることもでけへんでしょ。ただ歯を食いしばって、孫の百合子が修学旅行のお土産にお伊勢はんで買うてきてくれた海女さんの人形をじーっと眺めたりして気を紛らし、激痛を耐え抜きました。

 都会の街路樹もハラハラと葉を落とし始めた、ある晩秋の日の朝…。

 「神様、もう十分です。どうか信次郎を楽にしてやって下さい」。病室のベッドに横たわる信次郎の苦しそうな顔を見つめながら、小春は懸命に祈りました。すると信次郎は、すっと手を伸ばして小春の手を握り、最後の力をふり絞るように頭を持ち上げ、集まった娘らに向こうて、唇をかすかに動かしました。

 皆の耳には信次郎の声がはっきり聞こえました。「小春を頼む…!」と。信次郎、享年85歳。

独りっきり
 小春はん、とうとう山里の家に独りっきりになってしもたねぇ…。

 娘らは当然心配やったけど、信次郎と2人で晩年を過した場所を離れたぁないという小春の気持を察して、もう「都会へ出といで」などと野暮なことは誰も言いませんでした。そして、毎月の信次郎の小命日に小春を訪ね、あとは遠くから見守ることにしました。

 独りには広すぎる部屋の中、ちゃぶ台も夫婦茶碗も、土鍋も押入れも、みんな信次郎との思い出がぎっしり詰まっていました。やがてまた秋が深まり、庭の柿の木はいつものように大きな実を鈴なりにつけ、遠くの山々の紅葉は例年にもまして美しいものに思えました。木々の間をサワサワと吹き抜ける風、それに応えるように舞う落ち葉、そして、時折寂しげに鳴くカラスの声以外は、何も聞こえへん静かな昼下がりでした。

 小春は日当たりのええ縁側にポツンと座り、胸に抱いた「信次郎の尊(みこと)」の位牌にそっと語り掛けました。「いつも2人でこの景色眺めてたねぇ。…うち、信次郎さんがそばにいてくれたお蔭で、ほんまに幸せで、楽しかったわぁ」。

 すると突然、眩しい光が小春の体を包み込んだかと思うと、目の前にどこかで見たような、世にも美しい花畑がサーッと広がりました。

 「なんか懐かしい場所やわぁ〜♪」…吸い込まれるように歩いて行くと、やっぱり見覚えのある、清らかな水をたたえた川が流れていました。そして、川の向う岸から微笑みかけていたのは、信次郎と、30年近くも前に戦死した最愛の息子・俊明やったんです。

 「やぁ〜♪ 会いたかったわぁ! うちもそっちへ渡らしてちょうだい!」 信次郎はニッコリして大きくうなずき、小春に手を差し伸べました。

 娘らが訪ねてきた時には、小春は縁側に座ったまま静かに息を引き取っていました。ちょっと微笑むような穏やかな死に顔やったそうです。享年78歳。信次郎の死から丁度丸1年目の命日にあたる日のことでした・・・

・・・て美しぃに終わりたいとこやけど、そうは問屋が卸せへん、まだ、あるねんよ・・・エピローグ。

 「そやけど今日の真理子さん、着物から何から血だらけになって、般若の面みたいな、えげつない顔しとったでぇ…」

 身内だけで小春の密葬を終え、娘ら夫婦と孫たちは、大阪に住む三女・雅子の家の居間に集まっていました。 真理子いうのは、小春夫婦が一時は一緒に暮らして陰湿ないじめを受けた例の長男・一朗の鬼嫁さん。葬儀の準備で小春の部屋へ入った途端、普通やったらぶつかるはずのないとこにある神棚でしこたま頭を打って、顔面血だらけになってしもたお陰で、恐ろしいて葬儀によう参列せんかってんてぇ…。


 「お母ちゃんは、私らには何も愚痴言えへんかったけど、そら、あんだけ虐められたら恨んで当り前やわ!」「ほんなら小春ばあちゃん、死んでから真理子おばちゃんに復讐しはったん?」「うん、そのぐらいのことはしても不思議ないでぇ。昔から霊感の強い人やったさかいな」

 「それより、部屋があんまりきっちり片付いてるから、びっくりしたわ。雅子の母親とは思われへんなぁ」「ちょっと信宏さん(雅子の夫)、それ、どういう意味やのん! お母ちゃんは、いつも、女は死ぬ時もだらしない姿を人にさらしたらあかんて言うとった。それを実践しただけや」「そやな。駆け落ちみたいな思い切ったこともしはったし、女にしとくのん勿体無いような気風のええ人やったなぁ」「へぇ〜、小春ばあちゃん、カッコええ〜!」

 みんなで噂をしてると、突然、誰もいてへん隣室に通じるドアをノックする音が、「トン・トン・トン・トン・トン」…規則正しく5回刻まれた音に、居合わせた全員、一瞬凍りついたけど、それが小春であることは誰も疑いませんでした。5つの音は、娘らには「ありがとう」、娘の旦那さんらには「頼んます」、そして、孫らには「早よ寝えや」と聞こえたそうです。

 そして、小春の納骨の日、信次郎と俊明の眠る墓石を動かすと、石の下から真っ白なカエルがピョンと出て来て、喉元をヒクヒクさせながらみんなの顔を暫くじ〜っと見てて、それから、ちょっと会釈するような仕草をしたかと思たら、どっかへ消えてしもたそうです。

そっちで楽しいにやってるかぁ〜
信次郎・小春の眠る墓
 信次郎と小春へのお墓参りは、厳かなセレモニーとして、子から孫へ、孫からひ孫へと受け継がれています。

 まず榊と酒の肴をお供えし全員がお墓の前に横一列に整列。そして深々と二礼、続けて柏手を二回、最後に一礼という、まことに古式ゆかしい神道の作法に則ったものでした。その後、決して忘れてはならない大切な儀式がございます。

 それは…缶ビールを数本プッシュ〜ッと開けて、お墓の銘が泡で隠れて見えへんようになるほど、てっぺんから景気ようにビールをかけるねんよ〜。

 信次郎はん、小春はん、そっちで俊明と楽しいにやってるかぁ〜、言うてね。 
―完―
(November 2002)

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