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第22回 浪花の“第九”はスケールがちゃう!
小山美穂
師走、といえば…
 世界でも国内でも、相変わらず暗いニュース続きやった2002年も、泣いても笑ぅても残り僅か。皆さんにはどんな1年でしたか? 年の瀬は、女性は特に「年内に、あれもせんなん、これもしとかなあかん」て気ぃばっかり焦りますけど、こんな時こそ浮世の雑務を暫し忘れて、心豊かなひと時を過ごしてみたいものですね。

 師走といえば、ベートーヴェンの第九交響曲。日本では、「第九」を聴かんことには年が越せんていうほど全国各地で演奏されますが、その中でも最大規模のものが、毎年、大阪城ホールで開催される「サントリー 1万人の第九」です。これが始まった当初は、「1万人も寄って合唱やなんて、アホなこと!」て呆れられたもんですけど、年々参加人数も増えて、何と今年で20周年、大阪のいちびり精神も半端やないわぁ。

 「1万人」て言うても観客の数やありません。合唱団が1万人いてはるねんよ。大阪市の人口約260万人、大阪府の人口約880万人と比較したら、大した数には思えへんかも知れませんけど、私の周囲をぐるっと見回しただけでも、かかりつけの医院の受付嬢、近所の奥さん連中、スポーツクラブの仲間、勉強会の仲間、某会社の役員さんのご令室、それに、関西だけやのうて、茨城県からはるばるグループで歌いに来る知人もいてはります。それがみ〜んな、夏の終わり頃から「1万人の第九、歌うねん♪」て、男女を問わず、楽しそうにせっせと練習に通ぅて来はりました。聞くところでは、第1回から20年連続で参加してる人も120人もいたはるねんてぇ。

 私は生まれつきの悪声で、合唱こそ遠慮させてもろてますけど、その代わりここ数年、鑑賞は欠かしたことありません。お蔭で観客同士で顔見知りになるほど、「1万人の第九」は、皆に親しまれる大阪の一大イベントとして定着しています。
10、000人の第九
 会場となる大阪城ホールは、大阪城天守閣の北東500mの場所に20年前に作られた、
指揮者 佐渡裕さん
楕円形の黒いドーム屋根がひときわ目立つ多目的ホール。アリーナを取り巻く観客席には、公募で選ばれた7歳から89歳までの1万212人の合唱団が、男性は黒のスーツに蝶ネクタイ、女性は白のブラウスに黒のロングスカートでバチッと決めて、ソプラノ・アルト・テノール・バスのパートごとに分かれて、ぐる〜っと着席。そして、合唱団から見下ろされるアリーナに、オーケストラと数千人の観客が座ってるという、よう考えたらちょっとけったいな配置です。…まあ、そんな小さなことは気にせんと、ともかく魅力的なんは、4年前から総合指揮者を務めたはる佐渡裕(さど ゆたか)さん。

 汗びっしょりになってタクトを振る身長185cmの巨体からは、1万人を1つにまとめる膨大なエネルギーが発散されます。経歴を拝見したら、京都市立芸術大学を卒業後、故レナード・バーンスタインさんと小澤征爾さんに師事し、現在、パリの音楽界でも数々の要職を務めてはる実力者やそうですけど、そんな「偉さ」は微塵も感じさせんと、愛嬌ある笑顔とノリのええ関西弁で皆をリードしはります。この姿を見るだけで来た甲斐があるよ〜。

 今年の大きな特徴は、昨年まで大阪フィル、関西フィル、京都市交響楽団のメンバーで構成してたオーケストラを、関西の8大学から約130人の学生を選抜して結成したことやねんてぇ! 1万人の素人コーラス(失礼!)をまとめるだけでも大変やのに、今度は学生さんまで起用するやなんて、佐渡さんのこのチャレンジ精神、頭が下がる思いやわぁ。

 あれ? 開演前のまだ暗いステージにひょっこり出て来たんは、ひょっとして佐渡さん? なんでも今から、第九の合唱を観客にもレッスンしてくれはるそうです。「“フロイデ”(ドイツ語で「嬉しい」という意味)で始まるメインテーマは5つの音階だけで歌える簡単なものです」言うて、少しずつ区切って丁寧に指導してくれました。「お配りした楽譜にはカタカナでドイツ語の歌詞を書いてますけど、別に“ラララ”でも何でもええんです。第4楽章で僕が皆さんの方を振り返ったら、一緒に歌うて下さいね!」そう言い残して、楽屋へ引き上げて行きはりました。嬉しいわぁ、私らも合唱に参加してもええねんね〜?! やった〜、フロイデ〜♪

 コンサートの第1部は、エルガーの「威風堂々」で幕開けです。
ゲスト平井堅さん
クラシックファンならずとも、コマーシャルなどで馴染みのある優美なメロディーに、早くも会場は癒されムード。続いて、今年「大きな古時計」でブレイクした大阪出身の平井堅さんが、繊細な声でゴスペル風の「歓喜の歌」を披露しはりました。それから「大きな古時計」、そう来(こ)なあかん! 生で聴く平井堅さん、やっぱりちゃうわ〜♪ 「1万人のコーラスをバックに歌って、僕もウルウル来ました」て感激する平井さんに、会場もちょっとしんみり。

 次は、これまたポピュラーなワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー前奏曲」。出番を待ち受ける1万人の合唱団の人ら、初めは、緊張した面持ちやったけど、佐渡さんが作り出す雰囲気にだんだん肩の力が抜けてきてはるのが、遠くから見てもよう分かります。

 15分の休憩のあと、待ちかねた第2部、いよいよベートーヴェンの「第九交響曲」の始まりです。いやぁ〜、やっぱり第1楽章のこの荘厳な出だし、心地よい緊張感があるし、学生さんらが若いエネルギーを込めた力強い演奏は、初々しく、美しく心に響きます。そして、力強い第2楽章…優しい第3楽章…それから…。
F・ツヴィーアウアー
(ウィーンフィルコンサートマスター)

 第4楽章、あのメロディーが聴こえ始めました。すると、1万人の座席にパッとライトがあたり、全員が一斉に立ち上がりました。ピーンと張り詰めた空気の中、演奏が進んでいきます。バスのソリストが“フロ〜イデ〜” …この大きな会場にもよう響き渡る声、さすがやわぁ! そしていよいよ、1万人の合唱が始まりました。色んな年齢、色んな背格好の人が、文字通り一つになって、同じように体と口を動かして熱唱してはります。このスケールの大きさ、素晴らしいわぁ。これが長いこと練習して来はった成果やね〜。

 ソプラノのパートで一際小さい女の子、あれがきっと7歳の子やね。難しい歌詞やのに、よう覚えたねぇ。最前列で、おでこ光らして、握りこぶしに力を込めて歌う60がらみのお父さん、格好ええよ〜! 大量の声・声・声のダイナミックな大合唱に聴き惚れてたら、佐渡さんがパッと観客席を振り返って合図しはった。

 よっしゃ、私らも、レディ〜、ゴー! “フロイデ シェーネル ゲッテル フンケン”…(あと、忘れてしもた。まあ何でもええわ)“ララララ ララララ ララララ ラァララ〜”すごい、会場一杯、観客まで巻き込んでの1万5千人の大合唱!
 みんな立ち上がって、大きな口あいて、全身で歓喜を歌ぅたはります。前からも後ろからも、右からも左からも、そして上からも、大きな空気の流れが、胸郭にビジビシ跳ね返るような快感を覚えます。それにしても佐渡さんの汗、ボクサーみたいに飛び散って、観客席にまで飛んで来そうやわぁ。けど、それが不潔どころか、爽やかに見えるから不思議やねぇ。

 …心地よい雰囲気に包まれて、あっという間に第九交響曲・全4楽章が終了。そして割れんばかりの拍手の渦がいつまでも、いつまでも続きます。

 合唱団の皆さんのご感想はどやったかしら? 3ヵ月以上に亘る各地での練習、そして佐渡さんの指揮による合同練習、当日のリハーサルを経ての本番。この短い一瞬に全てを賭けるていうのは、スポーツの試合とも共通した達成感と満足感があるんとちゃうやろか? 皆さん実力を出し切れましたか? 握手したり、抱き合うたり、ハンカチで汗か涙を拭いてはる姿もあちこちに見えます。オーケストラの人らも、普段の学生の顔に戻って、瞳をウルウルさせながら、爽やかな笑顔を振りまいたはります。ほんまにお疲れさ〜ん!

 コンサートの締めくくりは、恒例の「蛍の光」。全員でペンライトを振って今年最後の大合唱をします。これがまた、綺麗のなんの♪
 “ほ〜た〜るの ひか〜り 窓のゆ〜き〜”…「あの、これどうやったら光りますのん?」(なんで人が気分良う歌ぅてるのに邪魔すんのん? 初めに説明書、読んどかんかいな、ほんまに…と思いつつ)「ポキッと軽く曲げたら光りますよ」。「おおきに」。
 …けど、斜め後ろの初老のおじさん、結局ペンライトの使い方が分からんと、振ったり叩いたり悪戦苦闘の末、周りをキョロキョロ見回してポケットに隠しはった。隣の人も教えたげたらええのに…。私が見かねて声をかけたら、おじさんのペンライトも無事、美しい光を放ち、満面に笑みをたたえて大合唱に参加しはりました。よかったですねぇ〜。

 こうして、佐渡裕さんの指揮の下、1万人の合唱団と130人のオーケストラ、そして数千人の観客の心が1つになって、第20回「サントリー1万人の第九」は大きな感動と爽やかな余韻を残して終了しました。

 あぁ〜、すっとしたぁ〜。お蔭さんで私、今年はもう何も思い残すことないわぁ! え?大掃除? それは横に置いといて…皆さんもお体に気ぃつけて、健やかな年末年始をお迎えくださいね〜♪
(December 2002)

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