- 連載 -
第26回 オー! マイボス!!
(序) 縁は異なもの、宝物
小山美穂
 ついこないだ新年度が始まったばっかりですけど、新緑の季節を迎えたら、学生さんもお勤めの人も緊張感が徐々にほぐれて、ぼちぼち、いわゆる"五月病"が出てくる頃やないですか…? ただでさえ複雑で世知辛い世の中やもん、自分が毎日してる仕事にふと疑問を抱いたり、自信をなくしてしまうこと、誰でもありますよねぇ。

 私は今でこそ自分の事務所を構え、女だてらに細々と自由業を営んでますけど、それ以前には長い間、普通(…かどうかは知らんけど)の会社員生活を経験しました。その中で悩むことも辛いこともようけありましたけど、特にありがたかったんは、素晴らしい上司に出会い、仕事やものの考え方について、色んな教えを頂いたこと。その出会いのお蔭で今の私があると言うても決して過言やありません。
履歴書、忘れて来ましてん…
 同僚たちの陰湿ないじめに嫌気がさして、大学を卒業してから5年間勤めた会社を辞め途方に暮れてた時、ちょっと前から気晴らしに通ぅてたスポーツクラブの仲間が声を掛けてくれました。「美穂ちゃん、せっかく活き活きと仕事してたのに、会社辞めたんやてねぇ。私の友人が出版社を経営してて、今、事務とか編集の手伝いをしてくれる女の人探してはるねん。よかったら面接受けてみいひん?(=受けてみない?)」
 それまでの仕事と全然ちゃうもんやから、あんまり気が進めへんかったんですけど、せっかくの好意を無碍に断るのも悪いと思うて、とりあえず、そこの社長さんにお目にかかることにしました。(会うてからお断りしたらええだけのことやし…)

 面接に行った先は、オフィス街とはいうものの、小汚いビルの中の屋根裏みたいな狭〜い部屋で、天井は雨漏りの跡だらけ。2、3人の記者らしき人らが、私に一瞥もくれず、黙々と原稿を書いてはりました。けど不思議に不快感はありませんでした。

 そこで私をにこやかに迎えてくれたのは、目つきは鋭いけど、どことなく人懐っこそうな社長さんでした。(へぇ〜、意外と感じのええ人やん…)ところが、布の裂け目からスポンジが飛び出したソファに腰を降ろした途端、私は重大なミスに気付いてんよ。いくら嫌々行ったから言うても、よりによって一番大事な履歴書を忘れるやなんて!

 (今さら、しゃあないわ…)開き直って「すんません、履歴書忘れてしもて」と切り出すと、社長さんは大して驚きもせず、「まぁ、本人が来てるんだからいいだろう」と、何ごともなかったように面接を開始しはりました。社長さんは私の家庭や学歴、年齢にさえ興味がないようで、ひたすら人生哲学や趣味、読書についての質問を次から次へと浴びせて来はりました。あんまり乗り気でなかった上に、数日前から風邪気味やった私は、失礼なほど無愛想に返事をしてたように思います。けど社長さんはそんなことにはお構いなしに、今度は、自分が北国の生まれで、学生時代は教師か政治家になるのが夢やったこと、新聞社に勤めて東京にも住んでたこと、自分の手で世の中を変えたいと思うてることなど、とうとうと熱弁をふるい始めました。そして、いつの間にか私は、まるで青年のように、楽しげに夢を語る社長さんとの会話の中にずんずん引き込まれて行ったんです。
仕事が欲しいねん!
 「君は、うちの会社で何ができる?」「う〜ん…掃除と電話番ぐらいやろと思います」「違う! オレの聞いてるのは、何をしたいかということだ」。相変わらずやる気のない返事を繰り返してたにも拘らず、社長さんは「よし、来週から来てもらおうか」とその場で採用を決定してくれはりました。(え? 何を考えてはるんやろ?)「今日は緊張のせいか口数が少なかったが、さっきから、やんちゃそうな目でキョロキョロあちこちを観察してる。それに、君を強く推薦してくれた友人のこともある。わざわざこんな草深い事務所へ来てくれたことへの感謝もある。そういう縁が何よりも大切だと思うから、よほどのアホでない限り採用したいと思ってたんだ。ただ、オレより背が高いのは気になるけどな」(なんや、そやったんかいな…)

 こうして私は、あれよあれよといううちに、翌週からその"屋根裏部屋"に通勤する羽目になってしもたんです。これも、仏様のお導きというもんやったんやろか…。
面接で「電話番はできる」て言うたもんの、架かってくる電話が多いのに驚き、社長を訪ねて来るお客さんは引きも切らず。取材や編集の仕事以外に、とんでもない相談事を持って来たり、人を紹介したいと連れて来たりするお客さん一人ひとりに、いつも変わらぬ態度で親切に接する社長に、次第に不思議さと人間的魅力を感じるようになりました。

 けど、男性ばっかりの忙しい職場やから、女の私を手取り足取り指導してくれる先輩はいてません。履歴書を忘れてきた私を採用するほど度量の広い社長のために、なんとか仕事を覚えたいと焦るけど、私にできるのは、残念ながらお茶酌みぐらいしかないねん。「忙しいから手伝うて欲しい」と言われて入社したのに、「忙しすぎて、仕事を教える暇がない」ていうのは、零細企業の殆んどが悩む悪循環やねぇ。しょうことなしに、私は、せめてみんなが快適に働けるようにと、来る日も来る日も、事務所の掃除と整理整頓に努めることにしました。数週間後、「君は明るい性格だし、いつも体を動かして働き者だね。お蔭でこの事務所、見違えるように明るく綺麗になったなぁ〜♪」て、入社以来、初めて社長に褒めてもろた時は、天にも昇るほどの気持やったわぁ〜。
ともかく、やってみなはれ
 けど、数ヵ月経っても自分の仕事は見つからず、とうとう掃除する場所もなくなって来てん…。「社長、私はこのままやったら月給泥棒です。辞めさせて下さい」。そしたら社長は、これまでにない真剣な顔で私に言いました。「オレは、去る者は追わない主義だ。でも今回だけは例外だ。君には最初から何か才能があると感じてた。それが判らないままに辞めさせては、せっかく頂いた縁を無駄にすることになる。自分の可能性を信じるんだ」。この殺し文句が、その後の私の生き方に、大きな影響を与えてくれることになってんよ。

 それから1ヵ月ほど後、ある講演会を取材するはずやった記者が、家の事情で休むと連絡が入りました。「他の取材もあるから、記者が足りない。小山君、ピンチヒッターで取材してくれるか?」「え?! けど私、ただの事務員やし…」「話を聞いて文にまとめるだけだ。やってもみないで、できないなんて思うな」。

 なんとかして会社の役に立ちたいという一心で臨んだ2日間の講演で、私は、学生時代の授業でもこれほど真剣に聞いたことがないと思うほど、必死にメモを取り続けました。

 2日間徹夜してまとめた原稿は、何とか社長から合格点をもらい、講演録としてめでたく発行されました。自分の文章が初めて印刷物になったときは、親類縁者にまで自慢して回りたいほどの感激やったわぁ。

 これをきっかけに、私の仕事の範囲は徐々に広がり、小さな失敗を繰り返しながらも、なんとか月給泥棒の汚名は返上できる程度にはなりました。社長は、相手を信頼して全てを任せ、困ったときだけそっとアドバイスしてくれるという、部下を育てるのがほんまに上手な人やってんねぇ。残念ながらもう亡くなってしもたけど、かつてこんな素晴らしい上司に出会い、大切に育ててもらえたことを、私は今でもほんまに幸運やったと思うてます。
新しい縁に、感謝
 現在、私の仕事を手伝うてくれてるのは、親子ほど歳の違う、性格も私とは正反対の、優しいて物静かな女性です。何十人もの応募者の中から彼女を選んだ理由は、正直言うて、他の人と比べて特に優秀やったからというわけとちゃいます。けど、初めて会うた時にハッタリ言うたり、自分を飾ったりせんと、知らんことは知らんと素直に言うた彼女の中に、直感的に若い頃の自分を見たのかも知れへんねぇ。これも何かの縁としか言いようがありません。「大したことは何もできませんけど、何かお役に立ちたいと思って…」と、忙しい私に気遣いながら、せっせと自分ができそうな仕事を見つけては動き回ってるとこも、かつての私とおんなじ。そして、私が思うても見いひんかった若い発想で、仕事をカバーしてくれることもしょっちゅうあって、知らず知らずのうちに信頼関係が生まれ、お互いに支えたり支えられたりの毎日です。

 歴史は繰り返すて言うけど、こういう繰り返しもあるんやろか…。かつての社長が私に色んなことを教えてくれた恩を、彼女に向けてどれだけ返すことができるんやろか…。

 年齢とともに、人は決して自分だけの力で生きてるんやないなぁとつくづく感じるようになりました。そして、また新しい素晴らしい出会いをいただいたことに感謝しつつ、明るい未来を信じて歩み続けたいと、心から願うてる今日この頃です。
(April 2003)

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