- 連載 -
第27回 オー! マイボス!!
その1 男のロマン?
小山美穂
 企業の倒産やリストラが日常茶飯事になってしもた現在と違ぅて、以前はよう「サラリーマンは気楽な稼業」て言われたもんですね。けど、前回お話させてもろた、私がかつて長〜いことお世話になった会社は、零細な上に、お人好しの社長が儲からん仕事ばっかり引き受けて来はるもんやから、良ぅ言うたら「毎日が新鮮」、悪ぅ言うたら「就業規則もクソもないほどの忙しさ」でした。

 商家で生まれ育った私は、子供の頃から、両親が昼夜なく働いてる姿を見慣れてたからか、サラリーマンの安定した生活を求めるより、その"けったい"な雰囲気に好奇心をそそられてんやろね。「社長さん、貧しい割にはいつも楽しそうに、堂々と色んな分野の人と渡り合ぅて、バリバリ仕事をこなしてはるわぁ。長い人生、たまには変わった経験してみるのも悪ぅない。まぁ、騙されたと思うて、暫くこの社長の下で頑張らしてもらおかなぁ」。…で、気がついた時には、すっかりその仕事に"はまって"しもてたんです。
歓迎会は、お花見?
 なんせ小さな出版社、社長も先輩方も忙しいて、仕事中は私に構ぅてくれる暇なんかありません。「事務所内の仕事はいちいち聞かずに、君の判断で適当にやって」て、大らかというんか、ええ加減というんか…。私は前任者の女性から3日間、あらかたの事務の引継ぎを受けただけで、入社早々、事務所のきりもりを任せられることになりました。

 従業員が数人しかいてへん職場は、まるで家族同様でした。私の入社は4月初めで、オフィス街はお花見がたけなわ。夕方、「よしっ、小山君の歓迎会は花見にしよう!」て急に誰かが提案したと思うたら、すぐに買物係、場所取り係、2次会の予約係に分かれて、チームワークのええこと! (この人ら、忙しいはずやなかったんかいな?)。

 生まれて初めて花見の場所取りを命じられ、同い年の男性社員と近くの公園へ行ってみたもんの、勝手がわからん上に、すでにどの桜の木の下も満員でした。ウロウロ歩き回って、やっとのことで見つけた場所にビニール風呂敷を広げ、あたりを見回したら、何とそこは公衆トイレの前、しかも枯れ木の下やってんよ。
 「気にしなくていいよ。美しく咲いた花は必ず散る運命にある。それにトイレがこんなに近くにあったら、ビールも安心して飲めるだろう」てみんなに慰められながら、私の歓迎会は、枯れ木の下で賑やかに執り行われました。
男のロマン…
 「松下幸之助さんや早川徳次さんのように、地方から大阪に出てきて大成功した経営者は数え切れない。大阪商工会議所の歴代会頭を見ても、大阪出身の人は数人しかいない。大阪という町は、よそから来た人でも、一宿一飯を共にすれば、すぐに仲間にしてしまう懐の広さがある。オレは大阪のそういう温かさが好きなんだ」…ていうのが社長の口癖でした。かくいう社長も、北国の生まれやけど、関西の大学に進んだのがきっかけで大阪の新聞社に就職し、結局、大阪で起業したという経歴の持ち主。「大阪での使命を終えたら、故郷へ帰ってのんびり農業でもするんだ」て、望郷の念をチラリとのぞかせることも時々あってんけどね。

 大学の文学部で日本史を専攻したという社長は、典型的な"夢多き文学青年"で、新入社員の私をつかまえては、「オレの手で大阪をもっと活力のある魅力的な町にしたい。オレは大阪の坂本龍馬になるんだ」て、色んな夢を耳にタコができるほど語って聞かせました。人一倍現実的な私は、「坂本龍馬は早死にしはったから、あかんわ!…男のロマンもええけど、そんなん言うてる暇あったら、ちょっとはお金儲けのこと考えて、天井のえげつない雨漏りを先に何とかして欲しいわ…」て反論したいのを抑えながら、心のどこかに、その夢を共有してみたいていう気持があったんも事実やったねぇ。
通帳の残高は…
 入社から1週間ほど経ったある日、珍しく預金通帳とにらめっこしてた社長が言いました。「明朝現金が要る。小山君、この通帳と印鑑を持って帰って、明日の朝一番で、万円単位を全部おろしてきてくれるか?」(え? 私、履歴書もまだ提出してへんのに、持ち逃げでもしたらどうすんねんやろ?)「社長、私そんな大金、よう持って歩きませんわ」て戸惑いながら通帳をのぞき込んで、私は愕然としました。なんでて、私の想像よりも1桁(いや、2桁かな…)少なかってんもん。しかも、ここだけの話やけど、万円単位をおろしてしもたら、残高は63円しかないねんよ。

 「社長、差し出がましいですけど、こんな状態で私みたいな役立たずを雇うてもろて、会社やっていけるんですか?」「あっはっは…大丈夫、大丈夫! 前なんかもっと無かったけど、今日まで潰れずにやって来た。何とかなるもんだよ」。…ショックを受けた私は、子供の頃から貯金箱に入れて大事にしてた陶器製の小さなカエルのお守り(「お金が返る」に通じ、お金が貯まると言われる)を、翌朝、現金と一緒に持って行き、会社の金庫に忍ばせることにしました。効果のほどはわかりませんけど、そのカエル、最後まで金庫の中で会社を守ってくれたことだけは確かです。
浪花商人の本領発揮や〜
 その会社、生粋の大阪人は私が初めて、ましてや大阪商人の習慣を知る人は誰ひとりいてはりませんでした。入社したばっかりでお金はよう稼がんけど、事務所内の仕事を任せられたからには、せめて大阪商人流に縁起なと担いで、無駄なお金が出て行かんようにするのが、当面私のできることやと、私はある種の使命感のようなものを感じてました。

 大阪商人は、月初めにお金が出て行くことを嫌うて、1日には支払いをしません。けど、お茶の葉なんかを納めてた御用聞きの人が、社長が無頓着なんをええことに、月末にするはずの集金を、横着していつも1日に来てはるのがわかりました。私は、「そんなことではお金が逃げる。縁起が悪いから月末か2日に来てほしい」とお願いしたんですけど、2ヵ月経っても相変わらず1日に集金に来はります。怒りを覚えた私は、とうとうその御用聞きを「出入り指し止め」にしてしもてんよ。ちょっと気の毒やったけどね。

  会社の人はお人好し揃いで、セールスの人が来ても可哀想に思ぅて、つい長々とけったいな商品の売り込み話を聞かされたり、悪いときには必要も無い品物を買わされる羽目になるんです。これも何とかせなあかんと思うてた矢先、大きなカゴを背ったろうた物売りが入って来て、わざとらしい方言で「あのぉ〜、植木はいらんかのぉ〜」。すかさず「すんません。私の実家、和歌山で植木屋してますねん」て答えたら、「ほぉ〜、そうかいのぉ〜」とあっさり帰りはりました。

 「君んち、植木屋さんなのか?」「ちゃいますよ。ああ言うたら角が立てへんし、あっさり諦めてくれるでしょ」「…(唖然)」。おんなじやりかたで、ある時は海産物問屋になったり、珍味屋になったり、新興宗教の布教に対しては、由緒正しきお寺さんの娘になったりする私を見て、社長は「君は、ほんとに大阪の女だなぁ〜」と呆れるやら感心するやら、苦笑の連続やったようです。

 男の人は日用品の値段なんか気にせえへんから、見回したら無駄が一杯。私はその一つひとつをチェックして、コピー用紙でも、洗剤でも、電池でも、1円でも安いお店で買うようにしました。けど、家の近くの商店街で半額のトイレットペーパーを買うて持って行った時に、「頼むから、若いレディがその格好で地下鉄に乗るのだけは止めてくれ」て言われて断念したんだけは、今でも心残りやわぁ。

 そんなある日、社長がしみじみと私に言うて下さいました。 「君が入社して色んな気配りをしてくれるようになってから、事務所の雰囲気ががらりと変わったし、社員もやる気が出て来たようだ。それに、経営状態も少しは良くなってきた。オレには君が、"招き猫"か"福の神"に見える。君は、オレたちの仕事を直接手伝えないことを気にしているようだが、仕事は目に見えるものだけではなくて、むしろ目に見えないもの、つまり細やかな心配りとか、人を惹きつける雰囲気作りが大事なんだ。言葉を換えると、そこに"存在する"ということが、立派な仕事なんだと思うよ…」。                                   
つづく
(April 2003)

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