- 連載 -
第31回 オー! マイ ボス!!  その5
愛される人になるんだ
小山美穂
初の女性記者
 その頃、私と同世代の男性社員が退職してフリーライターの道を進むことになり、後任の記者を募集することになりました。「これからは女性の能力を積極的に活用すべきだ」ていう理想を持ってはった社長は、何人もの応募者を慎重に面接した結果、私より2つ年上の女性の採用を決めはりました。「記者という職業は、自己主張が強くて、ちょっと癖があるぐらいの方が、いい取材ができるんだ」ていうのが採用の理由やってんけどね…。

 新入社員の真理さんは京都出身で、小柄で丸顔の一見かわい子ちゃんタイプ。たいそう読書家で、エッセイや評論を書くのが趣味やということでした。私は女性の同僚ができたんが嬉しぃて、早速、電話の取り方、朝のお茶酌み、お客さんへの応対、掃除用具の場所などを一通り説明しました。ところが、それを面倒臭そうに聞いてた真理さんの口から飛び出した答えに、私、頭から冷水を浴びせられたような気がしたわ! 「あんたは事務員やけど、私は記者として採用されたんや。女や言うだけで、男の下働きするつもりはない」。

 その言葉通り、真理さんは、外回りの社員が帰って来ても、お客さんが来はっても、私をチラッと見るだけで立ち上がろうともせえへんし、私の手がふさがってる時に電話が鳴っても、社長から注意されて渋々出るという徹底ぶり。しかも、「誰かに取り次ぐだけやのに、時間の無駄や」やてぇ〜! その上、先輩記者が取材や編集のイロハを親切に教えようとしてはるのに、もともと筆が立つという自負心からか、いっこも素直に聞けへんねん。(ちょっと真理さん、新入社員は、「はい、という素直な心」が基本やねんよ〜!)

 真理さんは、取材でも編集会議でも、最初のうちは皆にちやほやされて、事務所に帰るたびに、「今度、某社の御曹司と飲みに行くねん」とか、「私の記事が大反響で、さらに詳しい取材を頼まれた」とか、ほんまに得意そうやったわ。けど、つい図に乗って小理屈言うたり、横柄な態度を取るもんやから、暫くしたら、相手の態度がコロリと変わってしまうねん。そしたら今度は、掌を返したように、「誰のおかげで記事になったと思ぅてんねん」、「あんなアホのおっさん、二度と食事なんか付き合うたれへん」て、聞くに堪えへん悪口ばっかり言うて、そうなった原因を考えてみようともせえへんのです。けど、プライドが高いから強がり言うてるだけで、内心は、ちょっと焦ってるようにも見えたわぁ…。

 そんなことが暫く続いたある日、社長は深いため息とともに呟きはりました。「これまで何人かの社員を採用して、オレの直感に狂いはないと自信を持っていたんだが、どうやらそれは、小山君を採用した時で終ったようだな…」。

涙まじりのスパゲティ
 真理さんにとって、2つ年下の"事務員"の私は、なんとなしに気に入らん存在やったようで、容赦なく攻撃を仕掛けて来てんよ。「あんたの服装、体の線が見えすぎやし、化粧も濃いでぇ。そんなんで男に媚びんと、実力で勝負せんかい」「2年も勤めてて、未だに文章を添削してもらわな書かれへんのか。その割には社長にえらい気に入られて、あんたら、どういう関係やねん?」(京都弁て、もっと優雅なはずやけどなぁ…)。今流行りの"ジェンダーフリー"を履き違えたような真理さんの言動に、私は唇を噛んで耐えるしかなかってん。狭い事務所でもめごと起こしたら、お互い働き辛ぅなるだけやもん…。(けど、あかん! もう我慢も限界やわ)

 一触即発の空気を察した社長は、ある日の帰り、躊躇する私を強引に食事に誘い出してくれはったんです。「彼女は、君に負けまいと必死でつっぱってるんだ。だから、腹を立てる前に、君が、素直に人の好意を受け入れたり、相手の気持を考えるゆとりを持っていることを幸せに思うんだ。そして、そのように育ててくれたご両親に感謝するんだ。仕事でも私生活でも、人から愛される人間にならなきゃ、なかなか大きく成長はできない。だけど、それは周りが教えてできることじゃない。君は短気でわがままだけど、一方で少女っぽいほど真直ぐなところがあるから、案外、皆から可愛がられる。それは仏様から与えられた天性でもあるんだよ…」。この夜、社長にご馳走になった涙まじりのスパゲティの味、私、今でもよう忘れんねん…。

 で、真理さんはその後しばらく頑張らはってんけど、結局、社内でも社外でも人間関係がスムーズに行かんまま、傷心のうちに辞めて行きました。「こんな将来性のない会社にいてたら、ろくな取材がでけへんし、ほんまに書きたい分野の記事が書かれへん」て、捨て台詞を残して…。

 それからというもの、社長は折に触れ、私をあちこちに連れ出しては、上司として、人生の先輩として、そしてたまには友達みたいに、"レクチャー"をしてくれるようになりました。私も、社長の教えを一つでも吸収したいという思いで、その機会を密かに楽しみにしとってんよ。「大阪駅のはずれにレトロな雰囲気のバーがオープンしたらしい。一度行ってみよう」「ミナミに、着物のモデルさんが働く日本料理店があるんだ」「某ホテルの裏通りにあるイタリアンレストランは、汚い店だけど味は最高なんだって」。決して食通やないし、そないマメでもないはずの社長が、若い人の集まるお洒落なお店の情報をせっせと収集して来はるんだけは、その頃の私にとって、ちょっとした謎でもありました。

 社長は、取材先では聞き上手で通っててんけど、私に対してはいつも饒舌で、人生論から哲学、仕事を通じて知り合うた老若男女の人物論、興が乗ってきたら宗教についての大演説を繰り広げはることもありました。今思ぅたら、私を聞き役にして、社長の方が日頃のストレスを発散してはったんかも知れへんねぇ。

 そんな時、いつも注意されたんが、「君は完璧主義の傾向が強くて、自分にも人にも厳しすぎるのが欠点だ」ていうことでした。「君は動物的カンが鋭くて、臨機応変も効き過ぎるほど効く。だが、その基準で人を測れば、ほとんどが駄目な人間に見えるし、自分自身も疲れちゃう。人にはそれぞれ持ち味があって、のろまな子でも、君に欠けている部分を持ち合わせていることがある。そういう個性を見抜いて伸ばしてやることができて初めて、リーダーシップを発揮できるんだ」(別に私、リーダーになる予定ないねんけど…)。

 「部下は9つ褒めて1つ叱れ、とよく言われるが、オレは君をどんどん叱って教育していくつもりだ。これからまだまだ色んな仕事を覚え、能力を磨いていかねばならないのは当然だが、それだけでは不十分だ。人から愛され、尊敬され、そして、いざという時に力になってくれる人が周りに大勢いる、そんな人物になって欲しいと思っているんだよ」。

美人薄命
 そんなレクチャーの後、夜のネオン街に繰り出すこともあってんよ。社長が若かりし頃、新地遊びを教わったという高級クラブは、関西の財界人や政治家、俳優なども常連客の格調高いお店。どんな偉いさんからも一目置かれる、見るからに姐御肌で知的美人のママさんにお会いした瞬間、私まで背筋がシャンと伸びるような心地よい緊張感を覚えました。

 思慮深そうな整ぅた顔立ちのエッちゃんと、竹久夢二さんの美人画のような理絵ちゃんが、社長の馴染みのホステスさんでした。「お酒のお付き合いも大切な仕事」と考えてはった社長は、皆と別れた後、1人でふらりとこのお店に立ち寄るのが好きやってんて。なるほど、2人のホステスさんと他愛のない話をする時の社長、それまで見たこともないリラックスした表情やったわぁ。理絵ちゃんが社長に特別な感情を抱いてるのは、女のカンでピ〜ンと来たけど、謹厳実直なフェミニストの社長、なんぼ酒量が上がっても、ちょっとも態度を崩せへん。そこがまた、ホステスさんにとっては魅力やったみたいやねん。

 その夜、いつになくご機嫌さんに酔っ払ぅた社長は、エッちゃんと理絵ちゃんに「小山を可愛がってやってな〜!」て、くどいほど言いはるねん。「わかった、わかった」て適当にあしらわれ、タクシーに乗ってもまだ同じ言葉を繰り返す社長を見て、「この人を裏切るようなことだけは、絶対にしたらあかん」と深く肝に銘じずにはおられへんかったわ…。

 こうして、社長を介して知り合うた私ら3人はすっかり意気投合、社長を抜きにして食事をしたり旅行をするほど仲良うなってん。そして、彼女らと話をするうちに、以前からず〜っと引っ掛かってた謎がやっと解けてんよ。社長がお洒落なお店を探して来ては、いつも私を真っ先に案内してくれはったんは、私の教育もさることながら、エッちゃんや理絵ちゃんのような麗しいご婦人方や、仕事先の女性をそこへエスコートする時に失敗せんための"実地検分"も兼ねててんよ! …けど私、決して気ぃ悪ぅしてるんとちゃいますよ。むしろ、"練習台"にしてもろて光栄やったし、仕事以外でも相手に誠意を尽くそうと努力しはる社長を、さらに見直したものでした。

 けど、美人薄命ていう諺はほんまなんやろか…。エッちゃんも理絵ちゃんも、それから数年のうちに、相前後して天国へ旅立ってしまわれました。まだまだ人生を楽しめたやろうに…。それ以来、社長が仕事以外で新地へ出かけはる回数は、めっきり減ったように思います。
つづく
(September 2003)

戻る