- 連載 -
第32回 オー! マイ ボス!!  その6
社長さんのお友達
小山美穂
しんぶんやのしんぶんや
 創業以来、新聞や機関紙の発行など、地味で硬〜い"活字"を生業(なりわい)としてきた会社も、社長が好奇心とチャレンジ精神が旺盛な上に、広い人脈を持ってはったこと、そこに時代の流れも相俟って、いつの間にやらイベントやパーティを催したり、洒落たパンフレットや映像を制作したり、それまで思ぅてもみいひんかった分野の仕事も積極的に手がけるようになって来てんよ〜。「"新聞屋"が"新分野"に参入や!」て、アホな駄洒落言いながら、新しい仕事に全力投球してた当時の社内、活気だけは満ち溢れとったわぁ。

 ちょうどその頃、「年の離れた男性ばかりの職場では、君も寂しいだろう」ていう社長の配慮で、私の前任者やった女性が、主婦業の合間を縫うて、数日おきに経理などの事務を手伝いに来てくれることになりました。(お金に余裕があるわけやないのに、申し訳ないわぁ…)。実はこれ、私の雑務を軽減して新しい仕事に挑戦させよていう、社長の深謀遠慮があったようやねん。お蔭さまで、社長と同じ勉強会に特別入会させてもろたり、色んな企画会議にも出席したりして、私の社外の人との交友関係はぐんと広がっていきました。

縁は異なもの
 それにしても世間は狭いもんやねぇ。初めて行った勉強会でバッタリ出会うたんは、入社のちょっと前に友人の紹介で知り合うて以来、親しい友達づきあいをしてた企画会社の社長さんやってん。ところがそれが偶然にも、社長の古ぅからの悪友やていうから驚きやったわ。さすがの品行方正な社長も、若い頃から素行不良のプレイボーイで通ってたその悪友とだけは、良からぬ(?)遊びをしてはったとか、してはれへんかったとか…。「えぇっ、君ら知り合いだったのかぁ?! お前、うちの小山にまで手をつけてたのか。なんて奴だ!」(ちょっと待ってぇな。私、まだ手はつけられてへんっちゅうねん!)。

 こんな具合に、社長は、こと私の"男性関係"については、実の父親以上にうるさかってんけど、一方で、お互い「ツーカー」で通じるほど気を許せるようになって来てたし、私のレベルで判断できる仕事は、いちいち細かいことに口出しせんと、自由にやらせてくれてはってんよ。それどころか、「これ、どないしましょ」て指示を仰いだら、かえって社長の機嫌を損ねてしまうこともあったほどやねん。「オレに聞く前に、自分はこう思う、こうしたい、という考えをまとめて持って来るんだ」、言うてね…。

 その勉強会には、悪友さんとは全く対照的な、一流大学出身の一流企業の広報部長さんもいてはりました。この人と社長も、もちろん取材を通じて親しぃなりはったんやろと思いますけど、私の目には、仕事を離れても信頼し合える無二の親友のようにも見えたわぁ。そして何度かお目にかかるうち、社長の部下である私のことまで、何かと面倒を見てくれはるようになってんよ。

 そんなある日、仕事上のちょっとした行き違いで、社長と私の間が珍しくギスギスした雰囲気になってしもたことがありました。それでも自分が絶対に正しいと信じてた私は、広報部長さんに「社長が、私の意見にいっこも耳を貸そうとせえへん…」と、相談のついでに不満を漏らしてしもてん。

 部長さんはいつも、決して説教じみたことは言わんと、柔らかい言葉の中に、大切なヒントを包み込んで話をする人でした。「私は職業柄、大小のマスコミ関係の方々をたくさん知っている、と言ってはおこがましいですが、私の知る範囲では、社長ほどスケールが大きくて誠実な人はおられません。ほんまにええ人です」。…そない言われて私、顔から火が出たわ! 社長が優しいのをええことに、つい図に乗りすぎてたんやね。広報部長さんは、「いくら自由にやれて言われても、思い上がったらあかん。心の広い上司の下でのびのびと働ける幸せに感謝して、しっかり人生勉強しなさいよ」て、社長の代りに、私をやんわりとたしなめてくれはったんやと思います。

 広報部長さんは、社長にも重要な情報をそれとなく提供してくれはることがあったようです。ただし、「例のあれが決まって、2番の芽はないですね」て、いっつも暗号で喋りはるから、私が横で聞いとってもチンプンカンプンやってんけど、少なくとも、この2人の間には厚〜い信頼関係と男の友情が存在することだけは理解できたわぁ。

渡る世間はおもいやり
 男性が仕事相手と仲良うなる一番の近道は、なんと言うてもゴルフやね。仕事一辺倒で読書以外はこれという趣味がなかった社長も、ゴルフは大好きで、私も社長の勧めで練習を始め、年にたった1回ほどやけど、お供をさせてもらうようになりました。

 社長の腕前は、お世辞にも良かったとは言えません。大事な場面で、力みすぎてOBとかチョロを連発しては周囲をなごませる"癒し系"プレイヤー。スコアは良すぎることも悪すぎることもなく、マナーもええから、誰もがまた一緒に回りたい気分になるていう評判でした。けど、実は、社長のゴルフに対する思い入れは、周りが想像するよりはるかに真剣やってんよ。ゴルフの翌朝、一目会うただけで、スコアを尋ねてええんか悪いんかがわかるほど、成績が顔色に表れとったし、第一、初めてコースに出た時から1ラウンドも欠かさんと、全ホールのスコアを記録して一覧表に整理し、引き出しに隠し持ってはるほどの凝りようやったもん…。

 社長の最も気の合うゴルフ仲間は、その頃、新しい事業を通じて親しぃなった"何やらプロデューサー"ていう格好のええ肩書の人で、一回りも年下やったけど、社長にとってはゴルフの先生でもあってんよ。仕事の時も、飲みに行った時も、お互い気を許して「お前」とか「おっさん」とか、ズケズケ言い合うてたけど、ゴルフの時だけは全く様子がちゃうかってん。社長は、ナイスショットやミスショットの度に、プロデューサーさんの"ワンポイント・レッスン"を、そらぁ素直に聞くこと! プロデューサーさんの方も、なんとか社長に上手になってもらおという一心で、社長に合うたクラブを調達して来てくれたり、ビデオを持って来てくれたり、うらやましいほどの仲やったわぁ。

 なかなか友人とプライベートな付き合いをする暇がないのが社長の悩みやってんけど、仕事を通じてでも、こないに素晴らしい友人関係をいくつも築いていかはるのをすぐそばで見て、つねに真心をもって人と接し、心から相手を信頼することの大切さを、実践で学ばせてもろたような気がするわぁ。

いつの間にやら
 社長にはもう1人、とっておきの親友がいてはってん。それは、当社に負けんほど零細な会社を経営する、"実業界の吉永小百合"と呼ばれる美人社長さんでした。2人とも、大阪を何とかええ町にしたいという高い志を持ってはっただけでなく、お人好しなばっかりに、しょっちゅう人からものを頼まれる、儲け主義の仕事がでけへん、なかなか後継者が見つかれへん…等々、共通の問題も抱えてはるようでした。それだけに気が合うたんやろね、私ら社員に言えんことを、お互い相談し合うてはったんやないかと思います。

 そのご縁か、大阪の偉い方々のお祝いごとや出版記念会などの事務局を両社で受けて、共同で仕事をさせてもらう機会も何度かありました。その間、「ねぇ、小山さんをうちにちょうだい」「だめだよ。あんな個性の強い女性を使いこなせるのはオレだけだ」ていう会話が、2人の間で大真面目に交わされたということを、ずっと後になって聞きました。

 「今年は彼女が独立して20周年だそうだ。彼女、いつも人の世話ばかりしているから、今回はうちで祝賀会を引き受けようと思う。小山君、よろしく頼むよ!」ある日、社長が"吉永小百合"社長の事務所から戻って来て、嬉しそうに仰いました。社長の親友の一世一代の晴れ舞台、喜んでお手伝いさせていただきたいねんけど、ひとつ気がかりなことがあってん…。「確か、お2人は同じ年に創業されたんでしょ?…ということは、当社も今年、お祝いの会せんならんのとちゃいますのん?」「あっ、そういえばそうだった。…まぁ仕方がない、うちのは来年でいいよ。めでたいことは先送りにしてゆっくり味わうのもいいものだろ…。(そんな、ええ加減な…)。ともかくこうして、"吉永小百合"社長の周年パーティは華やかに、盛大に執り行われました。

 手探り状態で始めた"活字"以外の仕事は、必ずしも全部が儲けに繋がったわけやありませんけど、その関連でいくつもの催し物やパーティのお手伝いをするうち、当社に対する世間さまの信用だけは、少しずつ、着実に、厚いものになって来たんやないかと思います。そして、あちこちに借り出されるようになった私に、「あんた、どこの受付でもよう顔見るなぁ〜」て、親しげに声をかけてくれはる人もずいぶん増えて来てんよ…。
つづく
(October 2003)

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