- 連載 -
第33回 オー! マイ ボス!!  その7
社長の寂しげな笑み
小山美穂
 なんぼ時代が変ったて言うても、サラリーマンのアフター5といえば、上司や仕事の愚痴に華を咲かすのが世の常ですねぇ。けど私は、お勤めしてた間、会社に行くのが嫌や思ぅたことなんかいっぺんもなかったわぁ。そら、か弱い女性が男性と肩を並べて働こと思ぅたら、悩みも揉めごとも多かったし、心身の調子が良ぅない日もあったけど、ともかく毎朝、社長の顔見て大きな声で挨拶したら、「よっしゃ、今日も1日頑張るでぇ〜♪」て、不思議に力が湧いて来てんよ。
引越し責任者
 けど、そんな忠臣の私にも、一つだけ不満がありました。それは、事務所の雨漏りでした。初めのうちは、雫がポツポツ落ちてくる程度やからまだ我慢もできたけど、数年のうちにどんどん酷ぅなって来て、しまいには、ちょっとした雨でも"ザザ漏り"状態。大雨でも降ろうもんなら、天井にゴミ用の黒いポリ袋をガムテープで貼りつけて、そこに穴を開けてホースを繋ぎ(言わば、大きな漏斗)、溢れ出す大量の雨水をポリバケツで受けるという、聞くも涙、語るも涙の物語でした。

 しかも皮肉なことに、そんな時に限って来客が多いもんやねん。天井からぶら下がる異様な物体を見て絶句するお客さんに、「家賃は滞納したことありませんねんけど…ははは」て、恥ずかしい言い訳はせんならわ、大家さんは一向に修繕してくれる気配はあれへんわ…(こんな生活、もう嫌や〜!!) 。

 私は社長に思い切って尋ねました。「あの…引越しの予定、ないんですか?」「ああ、そうだな」…社長の答えは拍子抜けするほどあっさりしたもんでした。「君、どこか手ごろな事務所を探してくれよ」「場所とか、予算は?」「全て君に任せる」(そない簡単に任されても…)。

 ともかく善は急げ。私は知人のつてで不動産屋さんを訪ね、早速いくつか部屋を紹介してもらいました。「そこはオレの通勤に不便だ」「もう少し広い所はないか」…事務所探して、意外と難しいもんやねぇ。2週間ほどして、やっと1つ、社長の希望に合うた部屋が見つかりました。けど、今度は「う〜ん、家賃がちょっとなぁ…」(全て任せるて言ぅたやんかぁ〜!)。

 私は、その場で不動産屋さんに電話を入れました。「小山さん、そら殺生や。これ以上は安ぅでけしまへん」「そこを、あと一声。うち、実は火の車やねん!」「かなんなぁ…ほな、それで手ぇ打ちまひょか…」。ここまで恥じらいをかなぐり捨てて値切り交渉をしたんは、生まれて初めてやったと思います。そやのに社長、「大阪の女はすごいな〜。恥ずかしくて聞いてられなかったよ」やてぇ! 会社のためを思えばこそやのに、失礼やわぁ。けどこの時、私の中に、ある種の達成感があったんは確かでした。
困ったときの神だのみ
 移転には日時や方位の吉凶がつきもの。ところが、賃貸契約を交わした後で念のために調べてみたら、新しい事務所はよりによって、元の事務所の「凶」の方角にあることが判明してん。引越し責任者として、これを見過ごすわけにはいきません。私は、社長と一緒に、方除祈願で知られる大阪府堺市の「方違(ほうちがい)神社」にお参りして、厄払いをしてもらうことにしました。「値段の安い方のご祈祷をお願いします!」…。

 けど、落ち着いて考えたら、方位なんて何の科学的根拠もないし、困った時だけ神さまにお願いして助けてもらおうやなんて、そんな都合のええ話、社長が信じてはるわけありません。2人で神妙にご祈祷を受け、お札や清めの砂などをいただいて帰りの道すがら、私は社長に言いました。「私がけったいな縁起を担いだせいで、社長にまでご足労かけてすんません」。「いや、君に一任した以上、君の考えに従うよ。それに古いしきたりを大事にする商家で育ったお嬢さんの言うことだ、あながち迷信とも言い切れないだろう」…。こうして、新しい事務所への移転は恙無く運び、その後、会社は驚くほどの大発展を遂げたとさ。

 …というほど世の中は甘ぅはないけど、「方違さん」のご利益か、少なくとも、大きな災厄に見舞われることはありませんでした。それ以来、「君に任せる」て言われる機会はますます多ぅなって、新入社員の面接や採用はもちろん、対外的な折衝ごとや、時には資金繰りまで回って来て慌てることもありました。「多少の無駄には目をつぶり、ともかく任せ切ることで社員を育てる」という社長の教育方針は、賭けのような危うさもあったけど、私にとって、これ以上ありがたい勉強の場はなかったわぁ。

偉いさんが、なんぼのもんや!
 そんな時、ある旧制中学の同窓生の文集を、当社で作ることになりました。100人あまりの執筆者は、作家、弁護士、経済学者、高僧、お医者さんなど錚々たる顔ぶれで、豪華な出版パーティも企画されていました。たまたま私が、その旧制中学の後輩(もちろん高校)やという単純な理由で編集担当者に任命され、お蔭でとんだ苦汁を飲むことになるねんよ。

 執筆者はみんな忙しぃて、再三連絡してもなかなか原稿は集まれへんし、あまりにも達筆な旧字体の原稿は、私には難解至極。やっと校正を出したと思うたら、何度も大幅な追加や訂正を加えてくる人が続出。それを無理やて断ったら、誠意がないと怒られる。無理を聞いて訂正したら、遅いと罵られる。そうこうするうち、編集作業は遅れに遅れ、出版パーティはとうとう1週間後に迫ってしもたんです。

 私は、編集委員の1人である中小企業の社長に呼びつけられました。「間に合わなんだら、なんでもっと早ぅ言わんねん(そやから、何べんも言うてたやないの!) 著名人の文集を作らせてやってるのに、感謝の気持が全く感じられん。君のとこの社長は、社員の教育ひとつようせんのんか」…

 次の瞬間、私は大理石の応接机を両手でバシッと叩いててん。「偉いさんと友達やいうだけで、自分まで立派な人間やと思ぅたら大間違いや。私の社長は、地位や身分にへつらうような下らん人とちゃう。あんたらみたいな要領悪いオッサン連中の相手、こっちからお断りやわ」。突然の猛反撃に茫然とする編集委員さんと、総立ちで見守る社員の視線を全身に感じながら、私は席を立ちました。

 私はクビを覚悟で、ことの成り行きを社長に報告しました。「そうか、よく断って来た。(え? 怒れへんの?) そこまでバカにされて仕事をすることはない。ただし、親子以上に年長の社長さんを、社員の前で言い負かしたのだけは感心しないな。たとえ君が全面的に正しくても、ぐぅの音も出ないほど追い込んだら、感情的になってしまうだけだ。相手に少しの逃げ場を残しておくのが、大人の付き合いというものだ」。

 こうして、初めての大仕事は見事失敗に終ったけど、この苦い経験を糧に、その後、経営者の一代記や随筆、社史や遺稿集などもお手伝いする機会に恵まれ、お蔭さまで、お客さまがおぼろげに考えてはることを"プロ"の手で具体的な形にすることの醍醐味もちょっとだけ味わわせてもらいました…。そして何よりも、お客さまの満足そうな顔を見るのが最大の喜びやと、心から思えるようになったんは幸せやったと思うわぁ。
寂しげな笑み
 「これまで君に記者の道を歩ませて来なかったことを、実は後悔してるんだ。オレの考え方や仕事の内容を、きちんと理解してサポートしてくれるから、つい甘えて、君を"何でも屋"に育ててしまった…」。ある昼下がり、遅めのランチを共にしながら、社長が唐突に仰いました。「オレもそろそろ第一線を退きたいと思っているんだが、今の社内で後を継げる人材は君しかいない」。私、もうちょっとでランチを喉に詰まらすとこやったわ。「ま、まさか!! 私よりずっと年上の人らもいてはるし、女の私が社長になっても、誰もついて来てくれへんわ〜。そもそも、肝心の記者の指導もでけへんし…」。

 「オレが会長になってずっと君を守ってやるから、その点は心配いらないよ。オレは90歳まで生きる自信があるんだ。だから、君はともかく社長業を学びながら、人格を磨いていくんだ。そして、何年か経って若い記者たちが一人前になったら、君の個性を活かして、彼らと一緒に会社を続けて欲しい」。

 けど、社長のあまりに真剣な言葉の重みに耐えかねて、私は茶化すような答えしかでけへんかってん。「えぇ〜!? こんな儲かってへん会社の後継いで、社長みたいに苦労するのん、いややわ〜!」。
「はは…それもそうだな…」。社長は、うつむいて、寂しげな笑みを浮かべはったように見えました。
つづく
(November 2003)

戻る