- 連載 -
第9回 浪花の”いとはん”人情物語 =下の@=
小山美穂
 小山金次郎商店で育って幸せやったと今でも思うのは、「なんぼ商売が忙しぃても、子供の躾はおろそかにしたらあかん」て、親だけやのうて、お店の人や近所の人、お客さんまで優しく私ら子供の世話を見てくれたこと。けど、お店のマスコットみたいなもんやから、皆からおちょくられるわ、しょうむない冗談は教わるわで、おっちょこちょいにはなるし、おまけに否応なしに大人の会話が耳に入ってくるから、そらぁ、けったいな子供になっていきました。

 お店には、工具メーカーや小売店の“ぼんさん”(使い走りの若い従業員)とか、包丁や鋳物、大工さんの使うノミやカンナなんかを作る職人さんもようけ出入りしてました。決して上品とは言われへん人が多いけど、お店でチョロチョロしてる私に、絵本や玩具をおみやげに持って来てくれたり、ある時は、「こんなもん食べてもお腹こわせへんかなぁ」て心配になるような、新聞紙に包んだわけのわからんお菓子をくれることもありました。

ええ嫁はんになるでぇ

 「人に何かもろたら、ちゃんとお礼言うて、すぐにお父ちゃんかお母ちゃんに言いや」て躾けられてたから、グリコ1箱もろても、すぐに「ありがとう!」バタバタバタ…「お父ちゃ〜ん、今なぁ、ノコギリのおっちゃんに、こんなんもろてん!」て全身で喜びを表現してました。そしたら、おっちゃんらは「ここの“いと”は愛想ええなぁ。大きなったら、商売屋さんのええ嫁はんになるでぇ」て、目ぇ細めてはりました。(へぇ〜、私が喜んだら、おっちゃんも嬉しいねんなぁ)。相手の気持を考えてもの言うたら人間関係もスムーズに行く、いうことをこうやって肌で感じて、幼いながらも商人気質の基礎がちょっとずつ身について行ってたんやろねぇ。

 その頃、お店の人やお客さんの間で「自分が金持ちに見えるかどうか」の簡単な見分け方がありました。それは、私を近くの駄菓子屋さんへ連れて行って「美穂ちゃん、何でも買うたげるから、好きなん選びや…」て言うだけ。幼い私は、相手のこと考えなあかんと思うから、裕福な感じの人には、大きなオマケのついた高いお菓子をねだるけど、若い人とか、しょぼくれた外見の人には、気兼ねで5円のガムとかラムネぐらいしか買うてもらえへんかったんです。つまり、私がなんぼのお菓子を選ぶかが、その人のリッチ度のバロメーター。子供の判断力とか記憶力は、意外と確かなとこあると思います。今でも、誘拐された幼児が、犯人の人相だけでなく、複数犯のどっちが主犯格かまで証言するようなこと、ようあるでしょ。そやけどね、私に“しけた”お菓子しかいらんて言われた人らは、「美穂ちゃんに馬鹿にされてしもた…」て、ガックリ肩を落としてはってんてぇ。さすがにそこまでの配慮は、子供には無理やったようやね…。

 私へのプレゼントで最高の珍品は、アヒルでした。珍品てゆうても北京ダックとちゃうよ。得意先で、脚を骨折したアヒルを捕獲して治療したら元気になったから言うて、お店のお兄ちゃんが「美穂ちゃんに」て、もろてきてくれたんです。そんなもんもろて来るて、今も昔も、「今時の若いもんは何考えてるかわかれへん」て言われるはずやねぇ。そのアヒル、当時いてたジュウシマツとか犬のチャキとは違ぅてえらい凶暴で、お店に放したら、人間様に傷を治してもろた恩も忘れて無茶苦茶に暴れ回りました。とりあえず荷造り用の木の箱に閉じ込めたけど、その夜は、一晩中ガァガァガァガァ鳴きっぱなし。辟易した両親は翌朝、アヒルを逃がすことにしました。

 「どこへ放したろかなぁ?」
 「そや、お父ちゃん。四天王寺さんの池やったらようけアヒルがいてるから1羽ぐらい増えてもわかれへんのとちゃう?」
 「そら、ええ考えやな〜♪」
 「けど昼間に行ったら目立つから、暗ぁなったら行って来て」
 「“行って来て”て、僕がひとりで行くんかいな?!」
 「そら、そやわ。お父ちゃんしか車の運転でけへんし、私、そんなコソ泥みたいな怖いことようせんわ」
 「・・・・」

うそも方便

 母は子供の頃から天才肌といわれ、鋭い閃(ひらめ)きはあったけど、同時に親分肌でもあり、作戦は立てても自ら手ぇ汚せへん人やったんです。しょうことなしに父は私を連れ、アヒルの入った木箱を配達用の車に積んで四天王寺さんへ。(因みに、四天王寺さんは、仏教が日本に伝来したときに聖徳太子が大坂に建立したといわれる由緒あるお寺で、いつでもようけの人がお参りに行ってはります)。コソ泥みたいに夜陰にまぎれて、目指すはアヒルの池…。ところが突然、暗闇から私ら親子を呼び止める声が。「もしもし…」(うゎっ、なんで今ごろ散歩したはるんやぁ!)「大将(男の人に呼びかける言葉)、何か取りに来はったんでっか?」「いや、“取り”に来たんとちゃいますねん、“ほり”に来たんですわ…」「はぁ、さよか…???」…何とか言い訳をして、ようやく池に辿り着いて木箱のふたを開けるやいなや、アヒルは嬉々として尾っぽを振り振り、仲間の方へ一目散。それをしっかり見届けた父と私は、素早くきびすを返し、車に向かって一目散!!

 けど、この話、それだけでは終りません。数日後の朝刊を開いて、どひゃぁ〜!!なんと『四天王寺の池のアヒルが1羽増えていると天王寺警察署に通報があった。右脚に骨折の治療痕があることから、何者かが手当てをした後、放したものとみられる。心優しい信者の行為か…』て、でかでかと掲載されてたんです。しかも、例のアヒルをアップで撮った写真には、脚がちょっと曲がった部分にご丁寧に丸印までついて。「ちゃんと仲間に入れてもろてよかったなぁ」て、ほっと胸を撫で下ろしたもんの、小山商店にはすぐに“緘口令”が布かれました。(生き物を取るんと違ぅて、逃がしても罪になるんかなぁ。まぁ、どっちにしても、とっくに時効は成立してるけどね)。

 いつも笑いの絶えへん小山商店は、お客さんも居心地よかったようで、“ぼんさん”らも配達のついでによう油を売ってたから、あるとき「帰りが遅い」て会社から電話が掛かってきました。そしたら父は、本人を目の前にして「うちが段取り悪うて待たしてしもて、えらいすんまへん。ついさっき、帰ってもらいましたよって」やてぇ。(えぇっ? お兄ちゃん、まだここにいてはるやん…?)。ぼんさんが慌てて帰った後、怪訝そうな顔してる私に、母が微笑みながら囁きました。「お兄ちゃんがせっかく機嫌よう息抜きしとったのに、会社へ帰って怒られたらかわいそうやから、お父ちゃん、あない言うたげはってん。“嘘も方便”ていうこともあるねんよ…」。3つや4つの子にそんな難しいこと教える親、ざらにはいてへんやろけど、そのときの両親の穏やかな眼差し見たら、大人のお付き合いは奥が深いていうこと、本能的に理解できたような気ぃするわぁ。
=まだ、つづくねんよ〜=
(November 2001)

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