- 連載 -
第12回 夕陽に向かって涙した青春
小山美穂
末は博士かノーベル賞 小山センセ 教育にはうるさいねん
 皆さんは子供のころ、将来どんな職業に就きたいと思ぅてはりましたか?
 私が小学生のころは、まだ「かわいいお嫁さんになりたい」て答える女の子が多い時代やったけど、私の夢は「婦人警官か、世界中で活躍できる同時通訳」でした。中学生の時は「大学教授になって、賢い人と結婚して、子供を東大に入学させたい」て真剣に考えててんよ。なんとまぁ、夢のない子やってんねぇ…。

 高校に進学してからは「犬やカメレオン、馬とでも会話ができる獣医になりたい」と思うようになり、獣医学科を目指してひたすら勉強しました。
 そやけど、努力は必ず報われるとは限りません。私は大学受験に失敗し、傷心のうちに希望とは全く別の方向へ進むことになりました。けど、根っからの楽天家のええとこは、頭の切り替えも早いこと。「いつまで、くよくよしててもしゃあない。与えられた運命に逆らわんと、ひとつ頑張ってみよか♪」と思い直して、そう好きではなかった英語の教員免許を取ることにしました。

 ご承知のように、教員免許を取るには2週間の教育実習が必修です。そのころは、限度を弁えんと悪いことする生徒は今ほどいてへんかったけど、私が実習に行ったんは、都会のど真ん中、繁華街に隣接する私の出身中学でした。卒業してから7年が経過して、もともとガラがええとは言われへんかったんが、ますます風紀が乱れ、タレントの子供や「組長」さんのご子息、いかがわしい職業を営む家庭の派手なお子様方も通ぅてて、かなりユニーク(?)な学校やったわぁ…。

 理科室の窓ガラスは全部割られてるし、ちょっと耳が遠ぅなった先生の授業では、教室の後ろでギターを弾く生徒がいてる。それどころか、廊下をバイクで走る事件まであったりして、「最近はとてもやないけど、実習生を受け入れるような状況やない」て、先生方も困り果てたはりました。それでも、実習に行かな大学を卒業でけへん。私は必死に頼み込んで、ようやく受け入れてもろたんです。

 その年の実習生は、私を含めて女性ばっかり3人。予想をはるかに上回る波乱の2週間やったわぁ! 生徒らは実習生は言うに及ばず、ベテランの先生にも徹底的に反抗するねん。しかも私が受け持ったんは、3年生の3クラス。初めて教室に入った時は、黒板に放送禁止用語の落書きはしたぁるわ、教卓は使われへんほど汚したぁるわ、そらぁ怖いぐらいやったよ。けど、それでひるんだらナメられる。私は何事も無かったように教科書を朗読しました。そしたら、いきなり「おい、発音ちゃうぞ〜。読むのん速すぎて全然わっかれへ〜ん!」てものすごい野次。えぇ〜っ? 曲がりなりにも小山先生、アメリカ人の教授に英語習うてるのに、何を〜っ!… けど、それもそのはず、受持ちの先生の授業は「アイ・アム・ア…え〜っとぉ、スチューデント」ていう、ものすごい英語やってん。あれ? この子ら、見るとこは見てるんかなぁ…。いや…、ともかく、それぐらいのイジメには負けへんでぇ。
あら、はしたない…。
 余談ですが、私は若いころ、気が強いばっかりに危ない目ぇにもよう遭いました。中学生の時、学校一の悪ガキと中庭で口喧嘩になり、「お前、生意気やのぉ! コーヒー牛乳かけたろか!(昔は不良でも、かわいくコーヒー牛乳を飲んでてんよ♪)」て言われて、「できるもんやったら、やってみぃ!」て言い返したばっかりに、きっちり頭から全身にコーヒー牛乳を浴びたこと、あります。大学では、学生運動の団体が講義中に乱入してきたとき、「あんたら、言いたいことあったら、ヘルメットとかマスクで顔を隠さんと言わんかい、卑怯者! 授業の邪魔やから出て行ってんか!」言うて、危うく角材で殴られかけたこともあります。昔やからこれで通用したけど、今やったら殺されかねへんね。

 それだけの修羅場を潜り抜けた経験があったから、実習での生徒たちの妨害ぐらい屁のカッパ。生徒が騒いだら、校庭まで聞こえるぐらい大きい声張り上げて授業を続けました。ところが他の2人の実習生は、授業が成り立てへんようになって、とうとう泣きながら職員室へ帰ってしもてん。アホやなぁ…大人の男性を相手にするときは、“涙は女性の最大の武器”(テヘヘ)にもなるかも知れへんけど、中学校の男子生徒は泣いたら喜ぶだけやのに。

 私だけがどんな攻撃も跳ね返し続けたから、悪戯好きの生徒らはちょっと焦り出してんやろね。実習も後半に入ったある日の昼休み、私は廊下の隅で数人の男子生徒に取り囲まれました。「こらオバハン、なめとんか!」…けど、教育実習に行く前、大学から強ぅに言われてたんは「何があっても体罰は禁物。生徒に指1本でも触れたら、単位は取らせへん」ていうことでした。私を取り囲んだ生徒たちは口々に、ブスやの、ソバカスやの、メガネザルやの、オリーブ(ポパイの恋人)やの、言いたい放題。(そやけど、なんでこの子ら、よりによって、私が気にしてることばっかり言うねんやろ!!)それでも、大学の単位が目の前にちらついて、私はひたすら耐えててんよ。

 やがて、1人の生徒が勢い付いて私を蹴ったり、殴り始めました。それでも私は、「単位…単位…」て、心の中で唱えながら我慢しました。そやけど…こないだの大相撲初場所で、朝青龍に思いっきり張り手を浴びせられて、最後まで逆上せえへんかった栃東関はほんまに大物やと思うわ…私は10発目ぐらいのパンチが入ったとき、とうとう反射的に、生徒に向ぅてゲンコツを振り上げてしもてん。たまたまその生徒の背が低かったもんやから、顔には直撃せんと、頭に“ポカッ!”と鈍い音。「あ〜っ、しもた〜!」…けど、後の祭り。その上、次の瞬間「ええ加減にせぇ! このアホんだらぁ〜っ!」て、それまで使ぅたこともない巻き舌で怒鳴っててん! あら、はしたない…。

 その生徒は私の迫力に圧倒されて、その場に呆然と立ち尽くし、私の大声を聞きつけた担任の先生や他のクラスの生徒も大勢集まって来ました。あ〜ぁ、単位落としてしもたなぁ、と内心ガックリしながら、私はすぐに校長室へ謝りに行きました。「大事な生徒さんに、体罰を加えてしもてすんません。今日までお世話になりました」。そしたら校長先生「いやぁ、よう殴ってくれました」とニッコリ。「このことは大学には報告せえへんから、明日からも実習を続けて下さい」。
 ところがその日の帰り、例の生徒が校門で私を待ち伏せしてるやないの! 覚悟を決めて近づいて行ったら、なんとその生徒、私の顔を見るなり突然ポロポロ涙を流してんよ。「ほんまは小山先生と仲良うしたかったんや。ゴメンやで」て…。えぇ? ウソ〜っ?! こんな青春ドラマみたいなこと、ほんまにあるのん?! 放課後の校舎は真っ赤な夕陽に映え、ラガーシャツ着て夕陽に向かって走りたいほどの美しさでした。けど、私はただただ、その生徒のちょっと紅潮した頬に伝わる涙を、複雑な気持で眺めてました。

 次の日からの実習は、私の武勇伝が学校中の評判になってしもて、どのクラスでも、ほんまにお行儀よく真面目に授業を聞いてくれました。そのころの中学生はまだまだ素直で純真やってんね。お蔭さまで無事に2週間の教育実習を終え、教員免許もめでたく取得することができました。…青春の日の、苦いような、酸っぱいような思い出です。
 えっ?そやのに今、なんで教師になってへんのか…て? そら、実際の教育の現場は、そんな甘いもんやないでしょ。それに、若いころの夢とか理想をそのまま実現できてる人は、ほんの一握り。人生はまだまだ長い。失敗したり迷いながら、進む方向を探っていくのも、また楽しからずや…。
(February 2002)

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