- 連載 -
第13回 みにくいアヒルの子
小山美穂
 子供は、叱るよりも、ええとこを褒めて育てたら、持って生まれた才能がさらに伸びるて言われますけど、私は幼い頃からひねくれもんで、「美穂ちゃん、賢いね〜」て褒められるのが何よりも嫌いでした。それには深〜い訳があります…。
 私の2人の兄は、どっちも不思議なほど男前、ただし、「若かりし頃は」ていう注釈つきやけどね。
それ、”ブ○”の裏返し?
 上の兄は幼稚園のときから、早くも同級生の女の子らを三角関係でもめさせてたそうやし、大学生のときは、兄の通学姿に一目惚れした短大生が花束持って家に押しかけて来たこともありました。下の兄にいたっては、赤ちゃんコンクールでの優勝を皮切りに、その後はポートレートが写真館のウィンドーに飾られたり、街角で俳優と間違われたりするほどのスターダムを歩み続けました。
 そやから近所でも「小山はんとこ、ええねえ。男の子は2人とも男前さんで…」て昔っから評判やってんよ。けど、その後に続く言葉があかん。「それに、末っ子の美穂ちゃんは、え〜っと…あの…頭がよろしやん♪」。嘘でもええから、ついでに「美穂ちゃんも、かいらしぃね」て言うてくれたら、どんだけ幸せやったか…。そんなことを繰り返すうち、私は「賢い」て言われる度に、「それ、“ブ○”(当時はまだ、この言葉は普及してなかったように思うけど)ていうことの裏返しとちゃうのん…!?」て感じるようになり、ますます可愛げのない子になっていきました。

 確かに、子供のくせに面長でソバカスだらけの私の顔は、当時の基準ではかなり規格外。おまけに、痩せっぽちで声もハスキーやから、お世辞にも器量がええとは言われへんかったわぁ。幼稚園や小学校では男の子から「ちゃんと顔、洗ろて来いや〜」て、からかわれるし、髪を切りに行ったら、美容師さんまで「一体どんな髪形にしたら似合うねんやろねぇ…」て、ため息つくねん。こっちの方がため息つきたいわ…。

 学級委員を選ぶ基準もやっぱり顔が優先、私の順番が回って来るんは、いっつもルックスのええ子らが一巡した後でした。学芸会では、セリフもほとんどない万年脇役。小学校対抗の音楽会に出るときも、一旦私が指揮者に選ばれたのに、顧問の男の先生の反対で、色白の美人の女の子にその座を奪われた苦い経験もあるねんよ。これ、今で言うたら立派なセクハラやんねぇ! 私は、女の子は美しく生まれただけで、幸せの半分は手に入れたようなもんやて認めざるを得ませんでした。
傷つくわぁ
 小学校3年生の時のできごとは、今でもトラウマになってます。学校の廊下を1人で歩いてた時、高学年の男子生徒数人に「こいつ、変な顔しとんなぁ!」て笑われたんです。けど、ちょうどそこに、いつも朝礼で風紀指導をしてくれる正義の味方、生徒会長が通りかかりました。「よかった。この人やったらきっと注意してくれるわ…」私は救いを求めるように生徒会長の方を見ました。ところが、私の期待も虚しく、生徒会長は「ほんまにおもろい顔やなぁ…」て、一緒になって私のことを笑ぅたんです。

 私は、深い絶望感で目の前が真っ暗になりました。けど、同級生に言うたら、またいじめられるし、担任の先生に相談しても「人の身体的“欠点”を笑うのはアホや」て、何のフォローにもなってない言葉で慰められるだけ。かと言うて、泣いて家へ帰ったら家族に心配かける…。結局、誰にも悩みを打ち明けられんと、私はいつも1人悲しみをこらえてました。

 なんで外見がちょっと他の子と違うだけで、こんなミジメな思いをせなあかんのかなぁ…。そんな時、私の気をまぎらしてくれたんは、幼稚園のときから大事にしてた童話『みにくいアヒルの子』の絵本でした。落ち込んだときはいつも、その愛読書を開いて、美しく変身した白鳥が、真っ白に輝く翼をはばたかせて、大空へ飛び立つラストシーンを、一生懸命心に描いてたんです。この本、大人になってもほかすにほかせんと、長いこと書棚の片隅にあったように思います。

 けど、私の試練はそれだけでは終わりませんでした。小学4年の夏休み、学校の水泳教室が終わって、友達と体育館で遊んでたときのこと。天井から下げられた体操用の吊り輪が、なぜか子供の頭の高さまで降ろされてて、それを友達がふざけて私めがけて投げたんと、私が友達の方を振り向いたんが同時で、鉄製の輪は私の顔に勢いよく命中、私の額は縦にザックリ裂け、ピンク色の頭蓋骨が見える怪我をしたんです。

 額からボタボタ落ちる血で全身が真っ赤に染まった私を見て、当番の先生もPTAの父兄もパニック状態。ただ、運よく外科病院が近くにあって、さらに運のええことに、当時はまだ数少なかった美容整形のお医者さんが居合わせて、丁寧に傷を縫い合わせてくれました。先生は「年頃になって、傷跡が気になるようやったら来なさい。目立たんようにしたげる。女の子やさかいなぁ…」て優しぃに言うてくれはりました。

 ところが、この怪我で私は教育界のとんでもない一面を見ることになりました。遊具の管理不行き届きで生徒が怪我をしたことが教育委員会にわかったら、当時定年を目前に控えてた校長先生の実績に傷がつく。そこで学校側は、私の傷のことはそっちのけで、事故の隠ぺい工作に必死になりました。全校生徒のお手本となるべき校長先生が、決して私を見舞に来ぉとはせえへん、卑怯な態度が腹に据えかねて、とうとう母は、無理やり校長先生のところへ乗り込んでいきました。「子供同士で遊んでて怪我をしたんはしゃあないことやけど、女の子の顔にできた傷の心配もせんと、自分の立場ばっかり考えるとは何事か!校長先生が一言、今度のことは学校の責任やて認めはったら、私は、娘が片脚を失うても文句は言いまへん!!」。その日の夕方、校長先生は、女性の教頭先生に付き添われて、私の家に謝りに来はりました。
綺麗な心を持ち続けたら
 周りがあんまり「女の子の顔に傷がついて、えらいこっちゃ」て騒ぐもんやから、私は、これから大きなハンディを背負うて行かなあかんのかなぁと、ちょっと不安になりました。けど、母は私に言いました。「人に会うて最初に見えるのは顔やから、そらぁ顔は大事や。そやけど、傷なんかどうってことあれへん。人間の顔には心が表れるもんやねん。意地悪な人はイケズ顔になるし、エッチなことばっかり考えてる人は品のない顔になる。そやから、綺麗な心を持ち続けたら、自然にええ顔になれるもんやねんよ」。

 「男は40になったら顔に責任を持て」ていうリンカーン大統領の有名な言葉がありますけど、これは女も同じこと。私は母の一言で、「あぁ、私も優しい気持を持って、楽しいこと考えて、ええ顔にならなあかんなぁ…」て思いました。同時に、それまで外見のことでいじめられて悩んでたんが、いっぺんにアホらしぃなりました。

 中学生になって背は伸びても、やっぱりソバカスは消えへんかったし、高校でも相変わらず、男の子らから「小山て、案外スタイルええんとちゃう?」「そやけど、あいつ、顔がなぁ…」とか、「僕、小山のこと好きやねん」「えぇ〜っ?あんな顔のやつ、どこがええねん?」て、結構えげつないこと言われてました。けど、“美人”と“ええ顔”はちゃうこと知ってるから、何言われても笑ぅて聞き流せるようになりました。

 私は今でも時々、鏡に向かって微笑んでみたり、ほとんど消えてしもた額の傷を眺めてみることがあります。「人とちょっと違うばっかりに、色々つらい思いをしたこともあったけど、そのお蔭で他の人が知らん経験もようけできたなぁ。けど、“ええ顔”て、ほんまはどんな顔やねんやろ…?」て自問自答しながら。

 あれ…? そういえば、あれだけ繰り返し読んでた『みにくいアヒルの子』の絵本、私、いつの間に、どこへやってしもたんかなぁ…?
(March 2002)

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