- 連載 -
第16回 小 春 は ん (その一)
小山美穂
養 女 こ は る
 小春(こはる)が、奈良県五条町で小さな商店を営む両親の下に生まれたんは、明治27年が明けて間もない時のことでした。“五条小町”と異名をとるほど別嬪さんの母親の血を引いて、小春も幼い頃からたいそうな美人やったといいます。

 小学校へ入った頃、小春は父親の出張に連れられて、和歌山県某村に江戸時代から続く老舗の料亭「和歌乃屋」に立ち寄りました。そこで、キラリッと女将の目にとまったことが、小春のそれからの人生を大きく変えることになりました。

 「いやぁ〜っ!何とまぁ、かいらしい女の子やろ!この子、うちへ養女にくれはらしまへん?」。
小春は七人きょうだいの三番目。けど、なんぼ子だくさんでも、親が簡単に子供を手放すはずがありません。父親は、とんでもない、て怒って小春を連れ帰ったんですけど、女将は諦めきれず、家にまで押しかけて来て、何とか養女に欲しいと頼み込みました。

 正直なところ、小春の気持は複雑でした。
「優しい両親のそばを離れんのは寂しぃやろなぁ。そやけど、あんな竜宮城みたいに綺麗なお家へもらわれて行ったら、うち、お姫さんみたいな暮らしができるんとちゃうやろか…」。女将が三度目にやって来たとき、両親はとうとう根負けし、小春自身も、何やはっきりわかれへんけど、大きな幸せが待ち受けてる予感がして、結局、和歌乃屋に養女に行くことになりました。
こいと と呼ばれて 和歌乃屋で
 和歌乃屋での生活は、小春が想像した通り、いや想像もつけへんかったほど贅沢なもんでした。女将の父親が侠客やったこともあり、屈強な男衆(おとこし)さん、粋なおなご衆さんが何十人もテキパキと働いてはります。

 小春は“こいと”て呼ばれ、文字通りの乳母日傘(おんばひがさ)、何不自由ない毎日を送りました。小学校への通学は、必ず一人男衆さんのお供がついて人力車で送り迎えしてくれました。遠足ともなると、近所の農家の子供らがボロッちい着物やのに、小春だけは場違いな振袖姿。しかも、「可愛い“こいと”を歩かすわけにはいかん」ゆうて、必ず女将が一緒に人力車に乗ってついて行ってんてぇ。

 お重に詰めたお弁当は、和歌乃屋の板前さんが腕によりをかけて作った豪華版。小春はそれが恥ずかしいて、遠足に行きとうないて、いつも前の日にべそをかいてたそうです。

 幼い小春の一番の楽しみは、やっぱり近所のやんちゃな子ぉらと遊ぶことでした。和歌乃屋のおやつは「こんぺんと」とか氷砂糖みたいな、当時としては珍しいお菓子ばっかりやったけど、小春は、農家の子らが自由に畑で採って来て、美味しそうにかぶりついてる茄子が羨ましいてたまりません。そこで、お菓子と茄子を物々交換して内緒で食べては、そ知らぬ顔で帰るねんけど、茄子の灰汁(あく)で“お歯黒”になってんのを見つかって、いっつも「“こいと”はまた、けったいなもん食べてきたんか!」て怒られとったそうです。

 数年後、実の母親が「もう一人子供が生まれたけど、やっぱり小春の代わりにはなれへん。手放した私が間違いやった」て、和歌乃屋へ小春を取り戻しに来ました。ところが小春は、「美味しいお菓子がもらえるから、この家がええ…」て、なんとも短絡的な理由で、和歌乃屋での生活を選んでんてぇ!「親の心、子知らず」とはよう言うたもの。自分も子供を持って、初めて母親の気持が理解できるようになった小春は、その時の心無い言葉を、一生悔やみ続けることになります。

 やがて小春は、“ええ氏”の娘ばっかりが通う地元の名門女学校に入学しました。聞くところでは、当時は、女学生が通学途中などに誰かに見初められ、縁談が持ち上がって女学校を中退するのは珍しいことやなかったそうです。小春の通うてた女学校は、おしとやかで美人が多かったから、なおさらのことでした。(…え?そしたら、ちゃんと卒業できるのは、どういう女の子やってんやろ??)
タバコやの看板娘 15歳で結婚
 近くに国鉄の駅が建設され、和歌乃屋はそこに売店を出すことになりました。小春も、毎日女学校が終ったら店番をしてたんですが、その“看板娘”を目当てに、わざわざ遠くからやって来るお客さんも、ようけいてはってんてぇ♪

 その中の一人が、隣町で駅長をしてた信次郎でした。信次郎は、由緒ある神社の宮司の次男やったのに、学校の勉強も神主の勉強も大嫌いで、中学をすぐに辞めてしもて、国鉄の駅員になりました。勉強は嫌いでも仕事にかけては目端が利いて、今で言う“集客戦略”に成功、その町を有名な観光地に発展させた能力が買われ、若くして駅長に大抜擢された期待のホープでした。

 その信次郎が小春に一目惚れ、来る日も来る日も タバコなんか吸いもせんのに、「タバコ・・」言うて一日に三回もタバコ買いにくるねんよ。もちろん、小そうに折りたたんだラブレター持って・・・。

 小春の方も、デキる男にアタックされて、心を動かされへんはずがありません。すぐに二人は相思相愛の仲になりました。「純真なもんやねぇ」
こっからえぇとこやねん みちゆき
 和歌乃屋の女将も、好いた二人が結ばれることを強う望み、幸い次男やった信次郎を和歌乃屋へ養子に迎えることで、縁組はとんとん拍子に進みました。小春15歳、信次郎23歳の秋のことでした。ところが、女将が二人の結婚を大歓迎したのには、深〜い(いや、それほどでもないかな?)訳がありました。

 彫りが深ぁて日本人離れした顔立ちの信次郎が、いわゆる“タイプ”やったもんやから、女将は信次郎を、ほんまは小春やのうて、自分のもんにしたかったんです。そやから、小春にやきもちは焼くし、そのうち、何やかや理由をつけては、夜な夜な信次郎を自分の部屋へ呼びつけるようになりました。肩が凝ったから膏薬貼って欲しいとか、腰が痛いからあんまして欲しいとか・・・あ〜、なにやら危険な香り!

 信次郎にしたら、女将の命令やから断るわけにはいけへん。けど、熟女の激しい誘惑をかわし続けるのは並大抵のことやありません。困り果ててたところ、それが和歌乃屋の女子衆さんを通じて近所中の噂になり、「このままでは、あかん」いうことで、近所の人が協力して二人を逃がす算段をしてくれました。
 数日後の、草木も眠る丑三つ時、信次郎と小春は、近所の人が架けてくれた梯子を使ぅて和歌乃屋の二階の窓からそぉ〜っと脱出しました。

 旅支度は、隣家で鮮魚商を営んでた「たぁやん」ていう女性が用意してくれた二食分のおにぎりと、予備の履物、それにわずかなお金だけでした。「汽車で逃げたら、すぐに追っ手が回るから、鉄道のないとこを通って逃げなあかん」。綿密に逃亡計画を立ててくれた近所の人らに、充分お礼を言う暇もなく、二人は着の身着のまま、雪の降り積もる厳冬の村をあとにしました。

 翌朝、信次郎と小春が姿をくらましたのに気づいた女将は、予想通り、男衆さんや侠客の子分たちを使ぅて、和歌山から大阪の湊町に至る駅という駅に手を回しました。けどその間に、二人が手に手を取って夢中で歩き続けたのは、大雪の紀見峠でした。太ももまで雪に埋もれ、何日もかけての峠の険しい道行きの末に、二人は何とか大阪から汽車に乗り、下関へと辿り着きました。和歌乃屋を出てから、半月後のことでした。

 ここでやっと二人っきりの生活が始まるんですけど、小春はご承知の通りのお嬢さん育ち、それまで料理はおろか、自分で長い髪を洗うたことさえありませんでした。一方、信次郎は神主である祖父の厳しい教育のお蔭で行儀作法を身につけてたし、元来マメな男やったから、初めのうちは炊事はもちろん、小春の髪まで毎朝、信次郎が結うてやるていうママゴトみたいな新婚生活やったそうです。

 それから・・・・そういっぺんには完結せえへん。このあとは 次回に・・・
―つづく―
(June 2002)

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