- 連載 -
第17回 小 春 は ん (その二)
小山美穂
小春 駆け落ち 新所帯
 信次郎と小春の新居は、やっと雨露がしのげる程度のしょぼくれた家でした。家財道具は、鍋が一つ、ちゃぶ台が一つ、夫婦茶碗にお箸が二膳、それから一組のせんべい布団だけ。和歌乃屋の生活と比べたら、天国と地獄以上の差があったけど、誰にも気がねせんと寄り添うて暮らせることが、二人にとって何よりも幸せでした。

 けど、和歌乃屋を出るときに持ち出したお金はすぐに底を突きました。「これまで何の苦労も知らん小春に、ひもじい思いだけはさせとうない…」。信次郎は慣れへん土地を脚を棒にして歩き回り、職を探しました。そやけど、所詮は逃亡の身。

 出身地や本名は明かされへんし、うっかり実家が神社や、料亭や言うたりしたら、どこで身元が割れるかわかれへんでしょ。それでまともな仕事が見つかるはずないやんねぇ。

 来る日も来る日も、何軒ものお店で門前払いを食うた末、やっとあるパン屋さんが、賃金が安い上に歩合制ていう、何ともセコい条件で雇うてくれることになりました。

 信次郎の仕事は、焼きたてのあんパンを背ったろうて、街角で売り歩くことでした。けど、普通に売っとったんでは、少々きばったところで貰える給料は雀の涙。「何とかお客さんを惹きつけて、大量にパンが売れる方法はないやろか…」。ここで、かつて駅長に抜擢されたほどの、持ち前のビジネスセンスが発揮されました。

 「なんしか(=ともかく)、人より目立つこっちゃ」…信次郎は、パンを体裁のええ桶に入れ、それをひょいと頭に載せて、軽妙な節をつけた口上を唱えながら法被姿で売り歩くという、何とも奇抜な新商法を考え出しました。

 意外や意外、これが大ヒット! 元々、男前は和歌乃屋の女将のお墨付きやし、神主見習のときに祝詞で鍛えた美声には、そこはかとなく男の色気が…♪

 信次郎の行く先々で、大勢の女性客、いや“女性ファン”が待ち受けるようになり、あんパンは連日、飛ぶように売れました。お蔭でそのパン屋さんもいっぺんに有名になり、店主が信次郎を特別に贔屓するようになったのは言うまでもありません。

 それで面白ぅないのが他の店員さんらです。「出る杭は打たれる」ていう諺の通り、自分らの努力が足らんのは棚に上げて信次郎を逆恨み。それにしても、男の嫉妬は昔も今も、女より始末が悪いねぇ。店員さんらは陰で信次郎にネチネチ“いけず”を繰り返し、結局、信次郎は店をいびり出されてしもたんですて。
お座敷があったら世話して欲しい
 小春も決してぼけっとしてた訳やありません。ちょっとでも信次郎の負担を減らそと思ぅて健気に努力しててんよ。たまたま近所に住んでたんが、旧長門藩で家老を務めた由緒正しい元お武家さん。若い夫婦が親とも行き来せんと、人目を避けるように暮らしてるのを不憫に思い、いつもさり気なく手助けをしてくれました。言葉の訛りから大阪か和歌山あたりの出身と察しはついたやろけど、“武士の情”で事情は一切詮索せんと優しぃに見守ってくれはって、信次郎も小春も心から感謝してました。

 お嬢さん育ちの小春は、家事は大の苦手やったけど、奈良の実母が和裁が得意で、幼い小春にも針仕事の基本を教え込んでたんが幸いして、小春はその頃の記憶をたどりながら、着物を仕立てることを覚えました。ご家老の奥さんが、自分の着物だけやのうて、女中さんや近所の人からもせっせと注文を取ってくれはったお蔭で、小春の針仕事はずいぶん家計の足しになりました。

 けど、小春には和裁よりも手っ取り早うお金の稼げる、玄人裸足の芸事がありました。和歌乃屋で一流の芸子はんから習うた三味線です。そこである時、小春は奥さんに「お座敷があったら世話して欲しい」と恐る恐る切り出しました。そしたら奥さんは「どんな事情があるにせよ、あなたは良家の娘さんに違いない。芸者の真似事などさせたら、故郷の親御さんに顔向けできない」と、これまでにない厳しい顔で叱りつけました。小春はその後、二度と三味線を手にすることはなかったといいます。

 奥さんは、家庭料理も一から小春に仕込んでくれました。ある日、小春が初めて炊いた切干大根を、信次郎が「こらぁ、うまいなぁ〜♪」て、お代わりしたらね、小春は次の日も、またその次の日も、同じもん作り続けたんやてぇ。何と純真でかいらしい若妻やこと!けど、それが一週間続いた日、信次郎はとうとう辛抱たまらんようになって「なぁ小春、これも美味しいねんけど、たまにはちゃう料理も食べたいなぁ…」て、ほんまに申し訳なさそうに懇願したていう笑い話もあるねんよ。
生まれてくる子供のために
 翌年の秋、小春の“おめでた”がわかりました。故郷を遠く離れての初産、さぞ心細かったやろねぇ。その心情を察して、奥さんは小春につきっきりで、お産や子育てのことを懇切丁寧に教えてくれました。それまで仕事を転々としてた信次郎も、生まれてくる子供のために、今度こそ定職に就かなあかん。そこで、得意の料理の腕を活かして、屋台の夜鳴きうどん屋を始めることにしました。ほんまもんの味を知ってる信次郎のうどんは、特に、だしの繊細な風味が評判になり、時には身重の小春も借り出されるほど繁盛しました。そして、間もなく生まれた元気な女の赤ちゃんは、将来の繁栄を願うて、茂(しげ)と名づけられました。

 けど、そうなったら欲が出るのが人間の悪いとこ。「うどんは単価が安いから儲けも薄い。一品料理とか、お酒も出せたらもっと儲かるんとちゃうやろか」。考えた末、信次郎は関東炊(かんとだき)の屋台を出すことにしました。ところが、今度はどういうわけか、さっぱりお客さんが増えません。ひろうす(=がんもどき)も、皮鯨(ころ)も、お揚げさんも、ゴボ天も、味には絶対の自信があるのに…。訳がわからんまま悩んでたところ、ある冬の夜、トンビ(黒いマント)姿の紳士が、黙って関東炊きを食べた後、言いました。

 「貴方のおでんは天下一品だが、鍋が一杯すぎて見た目が良くない。おでんは、たっぷりのだしに具が泳ぐ程度に入れて、常にグツグツいわせるのが美味しく見えるコツだ」。

 はぁ〜、なるほど!そのアドバイスに忠実に従うたお蔭で、関東炊屋も徐々に軌道に乗っていったといいます。元号も明治から大正へと改まる頃のことでした。

 茂が三歳を迎える頃には、わき目も振らずに働いてきた甲斐あって小金も貯まり、二人が、それまで口には出さんでも、心に描き続けて来た「料理屋をしたい」ていう夢が、にわかに現実味を帯びてきました。やっぱり、望郷の念は捨て切れへんかってんやろね…。折り良く下関の駅前に、こじんまりとした店舗兼住居を見つけた二人は、躊躇することなく貯金の全てをはたき、さらにわずかな借金をして店を改装しました。お店の名前は「若月」。

 こうして、夢の実現に向けての準備は、不思議なほど順調に進んでいきました。

 そして、開店前日…。ご近所への挨拶は済ませた。駅前でチラシを配って宣伝もした。初日には、元ご家老夫妻を始め、お世話になった大切な方々をご招待することも忘れてへん。料理の下ごしらえは、もちろん完璧…。よっしゃ〜、いよいよ明日から開店や!信次郎も小春も、夢と希望で胸が高鳴り、その日やっと床についたのは明け方近うなってからでした。
真鍮の布袋さんだけが
 ところが…寝入って小一時間も経たんうちに、二人は異様な気配に目を覚ましました。すると、あろうことか、真っ赤な炎が寝間のすぐそばまで迫って来てるやないの!

 小春は本能的に茂を抱き上げ、信次郎に導かれながら裸足で表へ飛び出しました。店は見る見るうちに炎に呑み込まれ、もはや成す術もありません。消防団が駆けつけてくれて隣近所への類焼は免れたものの、二人が全財産を投じた「料亭若月」は、一日も営業せん間に跡形もなく崩れ落ちてしもたんです。出火原因は、煙草か竃の火の不始末、あるいは放火とも思えましたけど、誰に文句を言うてみても店が戻ってくるわけやありません。焼け跡には、真鍮製の布袋さんだけがポツンと燃え残っていました。

 人はあんまり悲しすぎたら涙も出えへんもんやそうです。茂を抱いたまま放心状態で立ちつくす小春に、信次郎は声の震えを懸命に抑えながら、できる限りの作り笑顔で言いました。「三人とも、命が助かってほんまによかったなぁ…。店はまた、二人で一からやり直したらええやないか…」。
―つづく―
(July 2002)

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