- 連載 -
第19回 小 春 は ん(その四)
小山美穂
信次郎夫婦 韓国に渡る
 信次郎と小春が、喜びと苦労を仲良う分け合いながら無我夢中で生き抜いていた明治末期から大正初期の日本は、日露戦争の勝利以来の追い風で、イギリスやアメリカにさえ脅威を与えるほどの勢いやったそうです。そして、日本が韓国に「朝鮮総督府」を置いて政務を統括する「日韓併合」の時代でもありました。

 温情派の警察官がすっかり板についた信次郎は、相変わらずどんな些細な事件にも真正面から立ち向かう"正義の味方"として、東奔西走の毎日を送っていました。そして、その人情味溢れる仕事ぶりに早うから注目し、信次郎に篤い信頼をおいてくれたはったんが、桜川警察署の署長さんでした。「ほんまの警察官の仕事は地味なことの積み重ねや。僕は、信次郎君のように小さなことにも心配りができてこそ、重要な仕事もそつなくこなせるもんやと思ぅてる」

 そんな折、署長さんが韓国の大邱(たいきゅう=現テグ)へ「特別高等警察官」として派遣されることになりました。そしたら署長さん、同行する署員として、部長や課長をみ〜んな飛ばして、なんと信次郎を指名しはってんてぇ! 信次郎にとってこれ以上の名誉はありませんが、まさか韓国へ単身赴任ていうわけにはいきません。信次郎一家は、やっと安らかな暮らしを手に入れたと思うた矢先、また大阪を離れんならんことになりました。
大邱(テグ)
 大邱は韓国南東部・慶尚北道の中心地で、古くから繊維の産地として栄えてきた韓国第3の都市。 特産品のリンゴのほかに、美人が多いことでも知られ、初めて訪れた信次郎と小春でも、どことなく懐かしさを感じるような長閑な田園風景が広がっていました。

 「韓国は、お母ちゃんにとって天国やったわぁ…」。小春は晩年、何べんも子供らにそう話してたそうです。豊かな自然、人懐っこい人々、それに宮殿みたいなお屋敷に何人ものお手伝いさんのいてるリッチな生活…。大邱の冬の寒さは大阪では想像もつけへんものでしたが、オンドルが完備した屋敷の中は年中浴衣で過ごせるほど快適やったそうです。

 特高警察と言うと、さぞ嫌われもんやったやろと思われるかも知れませんけど、信次郎は例外でした。活躍の場が大阪から"国際舞台"に移っただけのことで、やっぱりここでも気配り・目配りの警察官として市民に親しまれたそうです。第一、「人の思想を取り締まる」やなんて、信次郎の性に合うはずがないことは、署長さんも最初からお見通しやったはずやもんね。

 その思いは小春も同じでした。「日本の警察官の妻」やから、少々偉そうに振舞うても誰も文句はよう言わんかったやろうけど、「力」ではなく「心」で交流することを願うた小春は、自分から進んで韓国人の輪の中に飛び込んで行きました。
あんた、恥を知りなはれ!
 当時は、韓国人も日本語を使わなあかんことになってましたが、小春はこの政策には
庭先に並べたキムチのカメ
納得できませんでした。「母国語を禁止するのは、その国の生活習慣や伝統文化まで否定することになりかねへん」…ほんまに、その通りやね。けど、そのままではお互い言葉が通じひんから、小春は隣家の夫人に韓国語を教えてもらうことにしました。初めはチンプンカンプンで、ほとんど筆談と身振り手振りの会話やったけど、猛特訓のお蔭で、1ヵ月もしたら日常生活には困れへんほど会話ができるようになってんて。もちろん3人の子供らも韓国語で生活させました。

 ちょっと残念な話やけど、現地で暮らす日本人の中には、主婦が寄って物々交換をする時に、長襦袢の片袖だけをちぎって韓国人に渡すような、弱い者いじめをする人もいてたそうです。正義感の強い小春が、これを見逃すはずないでしょ。「あんた、日本人として恥を知りなはれ!」…どんなときも公平な立場でものを言う小春は、いつの間にやら、町内の女性たちが集まる場所には、必ず立会人として呼び出されるようになりました。

 大正11年の春、次男・俊明が生まれました。近所中の人が俊明の誕生を自分のことのように喜び、豪華な祝宴まで開いてくれました。特に隣家の夫人は、自分に男の子がなかったせいか、俊明を「トサキ」て呼んで我が子のように可愛がりました。実はこのお宅、韓国でも有数の大富豪で、俊明のゆりかご代わりに使ぅてはった「つづら」には、金銀・宝石がぎっしり詰まってたんやてぇ。「トサキ」は彼女にとって、きっと金銀とは比べものになれへんほど大切な宝やったんやろね。

 そんな信次郎と小春にも、一つ悩みがありました。それは、現地の女学校に編入した長女・茂の成績が良すぎたことやねん。何を贅沢な!…とお叱りはごもっとも。けど困ったことに、当時の大邱にはそれ以上ええ学校がなかったんです。自分らがろくに勉強せんかっただけに、子供にはできる限りの教育をしたいと思うのは親として当然とちゃうかなぁ。

 結局、茂は京城(けいじょう=現ソウル)の名門女学校に転校しましたが、大邱から京城までは馬そりで3日3晩の道のり、とても家からは通われへん。しょうがなく寮に入れてはみたものの、異国で可愛い娘を親元から離しておくのは気が気やありません。悩み抜いた末、信次郎は職務よりも茂の教育のことを優先して、首を覚悟で署長さんに帰国を願い出ました。けど、署長さんは流石に心が広いわぁ! 信次郎の願いは何とか聞き入れられ、大邱での生活は3年半でピリオドを打つことになりました。

 けど、それからが大変やってんよ。信次郎一家の帰国を近所の人らが猛反対。そして、俊明を溺愛した大富豪のご夫人は、「コハルが帰るのはしょうがないが、せめて、トサキだけでも置いて行け」と、小春にすがりついて泣き崩れはったそうです。

 小春は、帰国後も韓国の友人たちと親しぃに文通を続けました。後でわかったことやけど、小春の喋る韓国語は上流階級の綺麗な言葉やて、大阪に住む韓国人がえらい誉めてくれはってんてぇ。ただ、次女の扶美が日本語を完全に忘れてしもて、公衆の面前で小春のことを「オモニー、オモニー(お母さん)」て呼ぶのには困ったそうやけどね。
冥 界 ・・・ あぁ〜、うち、なんやええ気分やわぁ…♪
 大阪に戻って半年余り。小春のお腹にまた新しい命が宿りました。ところが喜んだのも束の間、積もり積もった疲労とストレスが体に障ったんやろね、ある朝いつものように信次郎を送り出そうとした小春は、突然、意識を失うて玄関に倒れこみました。お医者さんも手の施しようがなく、母子ともに危険な状態に陥ってしもたんやてぇ!

 布団に横たわったままピクリとも動けへん小春を必死に介抱しながら、信次郎は心の中で「神様、私の命はどうなっても結構です。その代わり、どうか小春を助けてやって下さい」と何度も何度も叫びました。

 けど、このとき小春が彷徨ぅてたんは、全く別の世界でした。一瞬、この世のものとは思えんほど色鮮やかな眩しい光が小春の体を包み込んだかと思うと、目の前に、世にも美しい、夢のような花畑がスーッと広がりました。色とりどりに咲き乱れる珍しい花々。頭がクラクラするほど甘〜い香り。「あぁ〜、うち、なんやええ気分やわぁ…♪」

 どちらへともなく進んで行くと、今度は、透き通った水がサラサラと流れる川が見えました。何気なく向う岸に目をやると、馴染みのある人らが数人、黙って小春に微笑みかけていました。「あ、奈良のおじいちゃん…ずっと前に死んだんとちゃうのん?」。ところが、小春が祖父の方へ行こうとすると、それまで微笑んでた人らの表情が急に厳しぃなって、「こっちへ来たらあかん!」と、一斉に首を激しく横に振りました。「なんで? うちが行ったら迷惑やのん…?」
 次の瞬間、小春の体はふわりと宙に浮き、景色は花畑から一変、今度は家族に囲まれて横たわる自分を空中から見ていました。みんな、号泣しながら小春の名前を呼んでいます。「そんな泣かんでも、うち、さっきからここで返事してるやないの!」

 信次郎は、お医者さんの「ご臨終です」ていう言葉がどうしても信じられんと、だんだん冷たぁなっていく小春の体を、お湯で絞った手ぬぐいで懸命にぬくめてるとこでした。「人生これからやいうときに死ぬアホがおるか! 小春、もういっぺん目ぇ開けてぇな!」

 すると、小春は急に空中からストンと落ちたような気がしました。信次郎の声が耳元で聞こえて、うっすら目を開けると、目を真っ赤にして小春を見守る家族の顔がボーッとかすんで見えました。信次郎の祈りが通じたんか、それともお腹の赤ちゃんが自分の命に代えて小春を救うてくれたんか…小春は奇跡的に息を吹き返したんです。
黎 明
 小春はもともと信心深ぁて、朝夕の神仏へのお参りを欠かしたことはありませんでしたが、この日を境にどういうわけか霊感が鋭うなって、ずっと先のことを予言したり、しばしば正夢を見るようになったといいます。
そして信次郎は、警察官の仕事が、小春の心身に大きな負担をかけ続けて来たことを悟り、将来を嘱望されたその道を、この日限りできっぱり諦める決心をしました。
―つづく―
(September 2002)

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