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第30回 オー! マイ ボス!!  その4
英語やったら任せなさ〜い
小山美穂
 社長は、経済界の偉いさんと会うときも、私らみたいな若いもんを指導するときも、ちょっとも態度の変われへん誠実な人でした。

 とつとつとした話術で人を惹きつける一方、聞き上手でも定評があったから、清濁混ぜこぜの情報がなんぼでも集まって来たけど、決してそれを悪用せえへんから、皆さんからの信頼もたいそう篤かってんよ。おまけに、その文章力たるや、鋭い視点の中に男の優しさが見え隠れして、惚れ惚れするほどやねん♪…けどね、こと英語が関わってくると途端に状況は一変してんよ。ほんまに社長の英語コンプレックス、どんだけひどかったか…。
原文を送ってください、すぐに小山が・・・
 社長は、新聞や雑誌の記事を書く以外に、人さまの文章の代筆やチェックを頼まれることもようありました。ある会社の秘書室長さんから、こんなご依頼がありました。「当社の会長の記事がニューヨークの『WALL STREET JOURNAL』に大きく掲載され、社内で翻訳させましたが、技術専門の担当者なので、このままでは人に見せられる文章ではありません。きちんとした日本語にリライトしてもらえませんか」。

 それから、10頁ほどもある翻訳文をFaxで受け取った後、社長が秘書室長さんに電話してはるのを聞いて、びっくりしたのなんの…。「さっぱり解らん翻訳ですな。これじゃぁ僕も書き直しようがないので、原文を送って下さい。すぐに小山に翻訳をやり直させます」。(うっそぉ〜! 英字新聞のまるまる1頁を素人が翻訳しょうと思ぅたら、どんだけ時間が掛かると思てはんのん!?)。

 けど社長は、こともなげに仰いました。「大丈夫、君ならできる。それに、あの会長に関することなら、かなりの知識があるから、オレも手伝ってやるよ」「あの…手伝うてくれはるて、何を…?」「う〜ん、そうだな…とりあえず、缶ジュースでも買ってきてやるよ。君、何の味が好きだぁ〜?」

 とはいうもんの、大見得を切りはった社長に恥をかかせるわけにはいかん。私は辞書と首っ引きで、カンカンになって英字新聞と格闘しました。「さっぱり解らん」と却下された技術者の訳文は、専門用語を知るのには大いに役立ったし、当初、缶ジュースを買いに行く以外は何の役にも立てへん(?)と思われた社長も、流石は日本語の達人やわ、単語の解釈や微妙な言い回しなどについて、はっとするようなアドバイスをして下さいました。(翻訳て、一種の芸術かも知れへんわぁ…)。その時の私は、まるで一つのドラマを書き上げる作家のような気分やったと思います。こうして、社長と私の共同作業は、終電車ギリギリまで続いてんよ〜。

 渾身の力を込めて仕上げた翻訳は、会長さんからも合格点を頂き、めでたく関係先に配られました。ところが数週間後、社長に連れて行ってもろた北新地のお店で、またもや冷や汗…。そこは、例の英字新聞にも「経営者や重役が集う憩いの場」て紹介されてた、生演奏と歌が楽しめる新地でも有名なお店やってんよ。ママさんやお客さんの間で、私の翻訳が「言葉の選び方に配慮がある」とか「お店を綺麗に描写してる」て随分好評を頂いたようやねんけど、社長はそれを仕上げるまでの"舞台裏"はピリッとも漏らさんと、全部私の手柄にして、みんなと一緒になって褒めてくれてはったみたいやねん。

 「小山ちゃん、社長がいつも貴女のこと自慢してはるよ〜。ようできはるんやてねぇ〜」。(社長〜っ、人のお世辞を真に受けて、また、いらんこと言うて!)私の怒りの視線を感じてかどうか、社長はカウンターの端っこで知ら〜ん顔して煙草をくゆらせながら、一人でニタクソ笑うてはるねん、もぉぉ〜!

社長、英語わかるんですか?
 ある日、後に某自治体の首長になりはった大学教授さんから電話がありました。
 「うちの学部に在籍するレニングラード(現サンクトペテルブルグ)大学の客員教授が、現地の文化財保護について大阪の人に訴えたいことがあるらしいんや。取材したってくれへんか」。

 すぐに承諾はしたもんの、社長はちょっと困惑げ。「オレ、外国人は苦手なんだよなぁ。でも先生の紹介だから、社員を代りに行かせる訳にもいかないし。…そうだ! 君、一緒に行ってくれるか?」(…しかし、わざとらしい"振り"やなぁ)「私の知ってるロシア語、"ハラショー"と"ピロシキ"ぐらいですけど」「いや、英語でいいそうだ」「けど、取材の通訳なんか、私、ようしません…」「じゃあ仕方ない。プロの通訳を雇うか…でも、たった30分ほどのインタビューでも、高くつくんだろうなぁ〜」。

 貧乏会社の金庫番は、コストの話には敏感やねん。反射的に「わかりました。私が行ったらええんでしょ、行きますよ!」て答えてしもた後、まんまと社長の術中にはまったんに気付いた時は、後の祭り。(レーニンみたいな怖い顔の人やったら、いややなぁ…)

 翌日、大学の研究室を訪ねると、客員教授のアンドレイさんは、学生と間違うほどの童顔に人懐っこい笑みをたたえて、私ら二人を大歓迎してくれました。来日が決まった時、日本語を習うのは時間が掛かるから、代りに英語を勉強しはったそうで、私の英会話もひどいもんやけど、向うも大して上手やないから、下手くそ同士でかえって親しみが持てたように思います。そしたらインタビューの途中、社長がええタイミングで何べんも「うん、うん」て相槌を打ちはんねん。「社長、英語わかるんですか?」「い〜や、全然。でも、適当に合いの手を入れた方が、リズムが良くて喋りやすいだろ」「ええ加減な人やわ〜!」。

 「OK、OK(って何がやのん)、あ〜、ミスター・アンドレイ、次ィ〜、ワタクシ質問、OK?、あぁ〜、アナッタハ、レニングラード、帰ル、ネ…、」

 「あのぉ、社長はそないに訛らんと、普通に日本語喋ってもろて結構です」…上方漫才風のボケとツッコミに、日本語が解らんはずのアンドレイさんも、なぜか一緒に大笑い。こうして、インタビューは終始、和やかムードで進んでいきました。

 社長は、言葉が通じん相手とでも、心で会話できる特殊な才能があったんかも知れへんね。帰りしなに社長、「あ〜、ミスター・アンドレイ、ハラショー、またお会いしましょう、ハッハッハッハ」。ニコッ、ポン!、と肩をたたいてみせました。(それ、どういう会話やのん…??)以来、アンドレイさんとは胸襟を開く仲になってしもたんやから不思議やねぇ。

おおきに、またおいでや
 「小山君、さぁ出掛けるぞ!」ある月曜日、朝礼が終ってすぐ社長が仰いました。「出掛けるて、どこへですか?」「一緒に取材に行くんだよ」「え? 今日は洋酒の『ヨントリー』の社長さんにお会いになる日とちゃいましたか?」「そうだ。この間パーティの立ち話で、『お前の顔は見飽きたから、たまにはうら若き美人でも連れて来い』って言われて、君と行く約束しちゃったんだ」(そんな無茶な!)「まぁ、私が若ぁて美人なんは認めますけど…」「それだけ言えたら大丈夫だ。さ、行くぞ」。しょうことなしについては行ったもんの、緊張のあまり、どこをどう歩いたか全く記憶にありません。

 数人の秘書さんにものものしい出迎えを受けて、うちの事務所の何倍もある社長室に通され、待つこと数分。「よう来てくれたなぁ。あんたの親分、いつも嫌な質問ばっかりしよるさかい、かなんねん」と、のっけから浪花商人のノリで親しげに挨拶をしてくれはったんは、新聞やテレビでも見覚えのある端正な顔立ちの社長さんでした。全身から溢れ出る貫禄に圧倒されながらも、こんな偉い人から話し掛けてもろて、私の緊張は一瞬にして大きな感激に変わってんよ。

 ところがその後がえらいことやってん。二人の話はほとんど雑談で、メモ係を命じられた私は、何を記録したらええんか戸惑うばかり(45分しか時間ないのに…)。けど、ええ歳した男の人らが、身を乗り出して議論に熱中してはるのに同席するだけで、大阪という町を何とか良うしたいという熱意がひしひしと伝わってきて、なんや、私も話に参加させてもろてるような錯覚を覚えました。それに、時々、「あんた、どない思う?」とか、「あんたらみたいな別嬪さんが…」とか、適当に話に"よして"(加えて)くれはったんも大感激。日頃から社長が「立派な人ほど、繊細な気配りができるものだ」て言うてはるのは、なるほど、こういうことやねんなぁと、身をもって感じるありがたい経験でした。

 「おおきに、またおいでや」と、"にわか記者"に最後の労いの言葉も忘れへん大物社長さんのご配慮に再び心を動かされ、爽やかな余韻をもってインタビューは終了しました。

 翌日、ノートにビッシリ書いたメモを、恐る恐る社長に提出しました。「へぇ〜、君にはオレの気持がわかるみたいだな。ポイントをおさえた無駄のないメモだから、記事が書きやすいと思うよ。それに、オレの苦手な横文字には意味も書き添えてくれたんだな。ありがとう。君と一緒に行くと、こんなに効率のいい取材ができるんだったら、次もまた頼もうか…」。

 いささか強引な社長の"ご指導"を、「ありがたいけど、かなんなぁ」と思ぅたことは何べんもありました。けどそのお蔭で、引っ込み思案やった私の中に、仕事に対する自信や意欲がちょっとずつ育って行ったんも確かやったと思います。
つづく
(August 2003)

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