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第34回 オー! マイ ボス!!  その8
マザコン、半端やないよ
小山美穂
 「母上さま、お元気ですか…」。これ、幼少期の一休禅師がご母堂様に宛てた手紙とちゃいますよ〜。「…都会もひさかたぶりにうっすらと雪化粧。その清らかな風景に暫し心を奪われ、愚息は、遠い北国に思いを馳せずにはいられません…」。社長が折に触れ故郷の母親にしたためはった便りは、いっつもこんな文学作品風のイントロで始まるねん。18歳で郷里を離れて関西の大学に進学し、その後、仕事も家庭も大阪に持つようになりはった社長やったけど、実は、自他ともに認める超マザコンやってんよ。
母なる大自然に感謝
 "母上さま"の住む町は、北国でも僻地中の僻地。帰省にかかる時間も費用も、ちょっとした海外 旅行並みやから、零細企業の社長としてはそう頻繁に帰る余裕もないし、かと言うて、そうそう電話ばっかりもしてられません。それだけに、便箋10枚ほどに極太の万年筆でびっしりと書き綴った手紙には、毎回、都会出身の私らにはとうてい理解でけへんほどの、熱い熱い望郷の念が込められてたように思います。

 "母上さま"は地元ではちょっと名の知れた文筆家で、俳句や短歌を詠んだり、新聞に随筆を連載したり、遂には町の『文化功労賞』まで授与されるほどの人でした。「母は、文学少女がそのまま齢を重ねたような可憐な女性なんだ。言葉遣いも上品で、何にでも"お"をつけるんだ。お蔭で、オレも幼い頃から貴公子と異名をとるほどのお坊ちゃんだったんだぞ」。

 「へぇ〜、そしたらお母さんは、"奈良漬"のことはどない言わはるんですか?」。「なんだって?…ばかっ! オレの故郷には、そんな漬物はないんだっ!」…"母上さま"をネタにちょっとでも冗談言うたら、おちょくられてるのも知らんと、いつも烈火の如く怒る社長もまた、少年のような純真さを残す可愛らしい男性やったわぁ。

 ある時、社長が、母上さまの作品をまとめて本を作らはることになりました。社長とその兄妹の育児日記や、北国の大自然を題材にした短歌や随筆に触れ、広大な自然と女神のような母上さまが、この大らかで優しい社長を育んでくれはったんやなぁと、随分感じ入ったもんですが、私も色々と編集などのお手伝いをさせてもろたお蔭で、いつの間にやら母上さまとペンフレンドになってしもてん。「愚息が、大都会で日の当たるお仕事をさせて頂けますのも、ひとえに美穂さまを始めとする良き人たちのお蔭さまでございます…」(ははぁ〜っ、身に余るお言葉、恐悦至極に存じまする〜!)。

人に優しく、部下には厳しく…?
 けど、郷土愛が強いのは、ええことばっかりとは限りません。ともかく社長は"同郷"ていう言葉にはめっぽう弱ぁて、飛び込みのセールスの人でも、出身地が近いというだけで話を真剣に聞いたげたり、同窓会名簿を調べて来ただけの見ず知らずの"後輩"に、何の得にもなれへん世話役を押し付けられることまであってんよ。「社長、絶対に利用されてるだけですよ〜!」「まったく都会の人間は疑い深くていかん。田舎育ちに悪い人間なんて一人もいないんだ」(うそ〜、田舎にも泥棒ぐらいはいてるんとちゃうのん!?)。もしかしたら社長は、同郷の人にやったら騙されてもかめへんと思ぅてはったんかも知れへんね。

 社長は、自分を頼って来る人には決して嫌と言えん性質(たち)でした。大事な企画会議を翌日に控えたある夕刻、これから2人で素案作りをしょうという時に、仕事先の女性が突然社長に相談事を持ち込んできました。(急に来られても困るわ。今日中に企画書を作らなあかんねんから)。ところが、社長は私との打合せを放っぽり出して、快うに何時間も話を聞いてあげはった上、そのまま、女性を夕食にご案内するて言うやないの! 「とりあえず君ひとりで企画書を作ってくれるか。会議は明日3時からだから、朝からオレがチェックすれば間に合うだろう」。

 いきなり奈落の底に突き落とされた私は、仕方なく重い資料を自宅に持ち帰り、徹夜で企画案をまとめてんよ。そして何とかそれらしいに仕上げた書類を、翌朝、胸を張って社長にチェックして貰う…はずが、社長はその日に限って昼前になっても来はれへんねん。そして、会議の1時間前になってようやく社長から電話が入りました。「昨日、彼女の相談で気が滅入っちゃって、気晴らしに一人で飲みに行ったら、つい飲みすぎて…」。私は焦燥感と絶望感で、声も出えへんかったわ。それでも、まだ酒臭さの残る社長とぶっつけ本番で臨んだ会議が、何とか無事に済んだんは、せめてもの救いやってんけどね…。

この仕事が好きやねん
 それから数日間は、社長の顔を見たら涙が出そうで、ずっと目をそらしたまま仕事に没頭しててんけど、ついに耐えられんようになり、私は置手紙に辛い思いを託すことにしました。「信頼している上司に裏切られ、何を目標に働いてええんか解らんようになりました、云々」…若気の至りで、上司に対して失礼なことをくどくど書いたと思います。けど、最後に一言つけ加えるのは忘れへんかってん。「私は社長を尊敬してるし、この仕事が大好きです。そやから、これからも社長の下で働きたいという気持は変わりません」。

 無言で手紙を読み終えた社長は、ちょっと決まり悪そうな表情で穏やかに仰いました。「そろそろ、いつもの君らしい笑顔を見せてくれよ…このあいだは、ごめんな♪」。思いもかけん反応に、私、思わず吹き出してしもたわ〜。こんな"殺し文句"を、部下に対しても自然に言える人でした。そして、その時の手紙は、その後もずっと社長の引き出しに大事にしまわれたままやってんよ…。

みんな可愛い我が子
 社長は仕事柄、年配の方々とのお付き合いも多かったけど、逆に、若い世代の人らにも随分慕われてはってんよ。ベンチャー企業家、音楽家、デザイナー、画家、 小説家の卵等々が、入れ替わり立ち替わり事務所を訪れては、社長と真剣に議論したり、夢を語ったり…。お蔭さまで、傍の私まで、知らず知らずのうちに彼らの"おねえさん"的存在になって交流の幅を広げさせてもろたんは、ほんまにありがたいことでした。

 社長の楽しみは、もちろん、彼らが実力をつけて世に羽ばたいていくこと。そのために色んな手助けをしたり、貴重な人脈を紹介したり、決して労を惜しむことはありませんでした。そして、彼らがちょっとでも成功したり、マスコミに取り上げられたりする度に、まるで我が子が大手柄を立てたかのように、大喜びしてはってんよ。

 ある時、半年ほどの付き合いになるデザイナーとマネージャーが相談に来やってん。「新しい店を出す資金が足りないんです。店さえ構えられたら、後はなんとかやっていく自信はあるんですが」「それなら、公的な融資の窓口を紹介するよ」。茶髪に、膝のあたりに穴のあいたジーンズという、お金を借りに行くには最も不適切ないでたちの彼らを引き連れて行ったところ、当然、最初の返事はこうやってん。「担保になるものはありますか?」…「担保は、彼らの才能だよ!」。社長の強い押しのお蔭で、無事融資を受けることのできた彼らは、その後とんとん拍子でビジネスを拡大していきました。社長があちこちで彼らのことを自慢して回りはったんは言うまでもありません。

うらやましいなぁ…
 ところが、それから3年ほど後、すっかり出世したはずの彼らが、青い顔をして飛び込んで来てんよ。「実は、駆け出しの頃の倹約癖が抜けなくて、給料や経費を抑えすぎたために、今度は利益が出すぎて、このままでは莫大な税金を納めなければならなくなるんです」。(なんちゅう相談やの、それ〜??)。「うーん、金がないという話ならオレの得意とする分野だが、儲かりすぎて困ったというのは、どうもなぁ。ともかく、経理的な操作で節税をする方法があるはずだから、融通の利く税理士さんに相談するのが一番いいんじゃないかぁ」。大して目新しいアイデアやないのに、彼らはすっかり元気を取り戻して帰っていきました。そして早速、ええ税理士さんが見つかったから、なんとか節税できそうやと、律儀に電話で報告してきやってんよ。

 「そうかぁ、よかったな。落ち着いたら、また遊びに来いよ」。そして、社長は受話器をコトンと置いたかと思うと、深〜いため息をつきはってん。「彼らが頑張ってくれるのは嬉しい限りだ。でも、うらやましいような悩みだと思わんかぁ〜」。社長と私は、ただ顔を見合わせて、苦笑いするしかあれへんかってん。あ〜ぁ…。
つづく
(December 2003)

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