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第35回 オー! マイ ボス!!  その9
こんな社長でんねん
小山美穂
 よう、「大阪人が2人寄ったら漫才になる」て言われますけど、これはなんにも地元出身の人に限ったことやないねんよ。大阪の町中にそこはかとなく漂う独特の人情やサービス精神、そして、真面目に喋ってても、なんや人を食ぅたようにも聞こえる大阪弁に慣れ親しむうち、誰でも自然にお笑いの感覚が身に付いて、大阪人の仲間入りをしはるんやないかと思うんです。それが証拠に、私の社長も、初めは私の強烈な関西のノリに目を白黒させてはったけど、徐々に秘めたる才能を開花させ、ついには私らが足元にも及ばんほどの立派な"お笑い芸人"になりはってんよ。ただし、ボケ役専門やってんけどね。
効果抜群? 育毛シャンプー
 社長のモットーは「心は生涯青春」やったけど、流石に肉体年齢には勝てず、そろそろ頭髪の具合 が気になり始めてはるようでした。そこで私は、当時、効果抜群と評判やったアメリカ製のシャンプーとヘアトニックを取り寄せてプレゼントすることにしてん。数日後、宅配便で届いたセットは効能書から何から全て英語。私は、英語が苦手な社長に一つひとつの使い方を説明しました。「これがシャンプー、これがヘアトニックで、この小さい瓶は、気になる部分に数滴を落としたらええそうです」「そうか、ありがとう♪」…大いに納得した社長は、大事そうに3つの瓶を抱えて、いそいそと家路につきはりました。

 翌朝、颯爽と出社しはった社長、なんや、鼻歌交じりでご機嫌さんやわぁ。「早速、例のヘアトニック試してみたんだ〜♪」「へぇ〜、アメリカ製だけあって、強い香りがしますねぇ」「うん、それだけ効き目があるんだな、きっと」。そして、翌日も、その翌日も、社長は甘〜い香りをプンプン撒き散らしながら、取材に会合に大活躍でした。

 ところが4日目の朝、社長は何やらスカみたいな顔で出勤しはってん。「あのな…昨日まで使ってたの、よく見たらヘアトニックじゃなくて、"SHAMPOO"って書いてあったよ」「えぇ〜っ! 3日間もシャンプー頭につけて来て、変やと思えへんかったんですか!?」「ああ…この粘り気に効果があると信じて、泡が消えるまで頭皮にゴシゴシ擦り込んでたんだ」。 (この人、大丈夫かいな、ほんま…)

世話やけるわ〜
 一歩社外へ出たら、並み居る財界人や各界のお歴々といつも真剣勝負の社長でしたが、普段の行動だけ見てたら、部下として一抹の不安を覚えずにはおられんほど、おっちょこちょいのネタには事欠けへんかってんよ。

 ある日の午後、原稿の締切りが迫ってピンと張り詰めた空気の中、全員が事務所で黙々と執務をしてた時、その沈黙を破るかのように1本の電話が鳴りました。私が受話器を取ると、どっかで聞き覚えのある声が、両方の耳から"ステレオサウンド"で聞こえてくるような気がするねん。(なんやのん、これ??) そしたらすぐ横で社長が、「もしもし…あぁ小山君か、オレだぁ〜。悪い悪い、間違えてわが社に電話しちゃった。何だか親しみのある電話番号だと思ったよ」やてぇ。「社長〜、2mしか離れてへんねんから、用事があったら電話やなしに、直接言ぅて下さい!」。けど、他の社員連中、いつも社長から「君らは集中力が足らん!」て耳にタコができるほど怒られてるだけに、特に原稿を書いてる最中の笑いはご法度。雑念が入っては大変とばかりに見てみぬふりして、普段よりずっと真剣な様子で仕事に没頭してはりました。ほんま、ケッタイな会社…。

 …そやそや、社長ゆうたらね、忘れ物の天才でもあってんよ。「昨日、飲み屋に大事なライターを忘れて来ちゃった。オレが行くとまたツケが増えるから、君、代わりに取りに行ってくれるか?」…この程度のことは序の口。ひどい時は、「気が付いたら背広の内ポケットに見覚えのない老眼鏡が入ってた。昨日行った3軒の店のどこから持って来たか覚えてないんだ。君、調べて返して来てくれるか?」。「はいはい…」こんな社長の失敗をカバーするのも、私の大事なお務めのうちやからね〜。
恥ずかしやんか、社長〜!
 ある朝、社長のお供で地下鉄御堂筋線に乗りました。ラッシュ時の御堂筋線といえば痴漢の巣窟。案の定、私は混雑で身動きもでけへん状態で、後ろにピッタリ寄り添ぅて立つ人に、体をズリ〜ッと撫でられるのを感じました。…と、途端に社長が「ごめんっ、腕を曲げようとして、うっかり君のお尻、触っちゃった」て叫びはんねん。(そない大きな声で、ご丁寧に、触った"部位"まで発表せんかてええやんか〜)。社長のその一言で、超満員の車内に一瞬ほんわかした空気が漂い、それまで苦痛に顔を歪めてはった乗客の間からクスッという笑い声も漏れました。けど、"被害者"の私は、「皆さん、お尻を撫でられたんは何を隠そう、この私です」と発表するわけにもいかず、"痴漢行為"を自首した勇気ある社長に背を向けたまま、降車駅まで無言を通すしかなかってん。


 「たまには、専門店の旨い珈琲をご馳走するよ」…その日の帰り、社長がオフィス街にある有名な喫茶店に私を案内してくれました。格調高いお店で、通常の値段の3倍ほどもする珈琲を飲みながら、社長は得意そうに何やかやとうんちくを垂れてはりました。けど、いざ精算する時になって…「しまった! オレ、今日は900円しか所持金がないんだ。君、いくら持ってる?」。レジの人と近くのお客さんに思いっ切り笑われて、せっかくのリッチな気分もいっぺんに吹っ飛んでしもたわ〜。

 夜のネオン街でも、傍の私の方が赤面するようなことがしばしばありました。あるバーで、ピアノ演奏に耳を傾けてはった社長が、急に立ち上がったかと思うと、壁際に佇んではったゲストのタレントに何やら話し掛けて、そのまま店の奥へ入って行きはってん。(やっぱり社長、どんな場所でも取材のチャンスは逃しはれへんわ…)。ところが、暫くして戻った社長に、「あの人と何の話してはったんですか」て聞いたら、「トイレの場所を尋ねただけだよ。なんで?」やてぇ。「ようテレビで見る歌手ですやん」「そうだったのか。黒い服を着てるからてっきり店員だと思ったよ。 道理で、男前な割には無愛想なわけだ」。店員と間違われても怒れへんかったそのタレントさん、私、すっかりファンになったわ。

じゃ…イテッ!
 これから大事な仕事に行くという時は、愛用の万年筆やメモカードなどの所持品を確認した後、サッと右手を顔の高さまであげ、「じゃ♪」て挨拶をしながら事務所を出るのが社長の得意なポーズでした。それがビシッと決まった時には、いかにも敏腕ジャーナリストていう感じがするねんけど、たまに勢いをつけ過ぎて、あげた手の指先が目とか鼻の穴に入って、「イテッ!」。(しかし、器用なことする人やなぁ〜)。痛そうに顔をさすりさすり出て行く社長の寂しげな後ろ姿を見送りながら、「神さま仏さま、どうか今日も1日、この世話の焼ける社長をお守り下さい」て祈らずにはおられへんかったわぁ。

 「オレは君らがガキの頃からあちこちを脚で取材して来たから、地理には詳しいんだ」。社長は、いつもそう豪語してはった割に、出先で道に迷うことがちょくちょくあってんよ。そやのに人に道を尋ねるのは大嫌い。そしていつも、方向が分らんようになったら、「そうだ、この近くに高台になってる場所がないか?」て思いついたように言いはるねん。「高台て、この辺の目印になる場所なんですか?」「いいや、どこか高い所に上って四方を眺めたら、道がわかるかも知れんだろ」(あのね、ここは社長の田舎とちゃうねんよ!)

喧嘩はあかん
 その頃には、私も社長に対して本音で接するようになってたから、仕事で意見が衝突することもようありました。そして、その日も、パンと紙パックの牛乳という簡単な昼食をとりながら、つい論争が始まってしもてん。「それ、おかしいんとちゃう? 絶対こっちの方が正しいと思うわ」「違う! 君はすぐに絶対という言葉を使うから駄目なんだ」…私の強い口調にカッとなった社長、思わず牛乳パックをグッと握り締めはってん。そしたら、差し込んだストローから牛乳が社長の顔めがけて、勢いよくピュ〜〜ッ! 「きゃぁ〜、えらいこっちゃ〜」。眉毛まで牛乳で真っ白になって、パックを握ったまま呆然としてはる社長の顔やらネクタイやらを、慌ててハンカチで拭いてゲームセット。「えっと、さっき何の話してました?」「ん? 忘れちゃったな、はっはっは」。

 これが社長の綿密な計算によるもんやったか、先天的な才能のなせる業やったんか、今となっては確かめる術もありません。けど、「人間は完全無欠がええとは限れへん。真心をもって人に接してる限りは、多少間の抜けたところがあるぐらいの方が、人から愛されるもんや」ということを、いくつもの貴重な実例を挙げて教えてくれはったということだけは確かなんやないかなぁ…。
つづく
(January 2004)

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