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第37回 オー! マイ ボス!!  その11
そんなん、嘘や!
小山美穂
青天の霹靂
 それは、毎年落ち葉の季節に繰り返される、会社の年中行事のようなもんでした。「社長もそろそろお年頃(?)やから、今年の健康診断はちょっと張り込んで、精密な検診を受けていただこかと思うんですけど」「うちの家系はみんな長寿だし、オレも至って健康だが、君がそう言うのなら、この際、一度全身を徹底的に調べてもらうのもいいかも知れんな」。

 そして、健康診断から2週間ほど後に届いた結果通知を開封して、社長は例年のごとく気楽なことばっかり言うてはりました。「おっ、体重は去年と変わってないが、身長が1mm伸びたぞぉ〜」「あはは、髪の毛が増えたんとちゃいますか」。ところが、何気なく社長の結果表を覗き込んだ私は、危うくその場にへたり込みそうになってんよ。「要治療」と赤で書かれた横に、命にかかわる病気を連想させる桁違いの数値が記入されててんもん。

 「仕事なんか放っといて、今すぐ病院へ行って下さい」「こんなの検査ミスだろ。どうってことないよ」。健康には絶対の自信を持ってはった社長は、全く意に介する様子もなく、その日の京都での取材にも予定通り行くて言わはるねん。けど、取材に同行した私は、有名な歌舞伎の女形(おやま)さんにお目にかかる折角のチャンスやというのに、気もそぞろで、ただ機械のようにカメラのシャッターを切ってたように思います。

 翌日、近所の医院へ相談に行った社長は、すぐに地元の市民病院に紹介され、さらに精密な検査を受けることになりました。そして判ったことは、ほんまに残念やけど、悪性疾患の疑いが極めて濃いということやってん。自覚症状が殆どないのがこの病気の特徴で、発見された時は手遅れである場合が多いんやてぇ…。社長自身にとっても、家族や私ら社員にとっても、青天の霹靂としか言いようのない、全く実感の伴えへん厳しい宣告でした。(よりによって、社長が、なんでそんな目に遭わなあかんのん!!)
もっと生きたいなぁ…
 けど、そこは人付き合いのええ社長のこと、普通は入院まで数ヵ月は順番を待たなあかんという大阪有数の病院に、ある人のお世話ですぐ入院できることになってんよ。「よかったわぁ。あの病院やったら、その程度の手術ぐらい軽いもんですよ」「オレが病気に負けるはずがないだろ。大阪一の名医に手術を受けて、絶対に治ってみせるよ」。どこまでも前向きな社長の姿勢に、私は、社長がもう完治しはったような気になっててん。

 社長が奥さんと一緒に入院前の問診を受けに行った後、私が事務所で、社長が代筆したある経済人の著書の最終校正をしてるところへ、社長がレントゲンフィルムの大きな封筒を抱えて1人で帰って来はってん。「えらい早かったですねぇ」「うん、まぁな。あぁ、この本もここまで出来たら安心だな。…あのな、実はオレ…」「ちょっと待って下さい。あと2頁で終るから」…やけに無表情な社長にただならぬ気配を感じて、私は思わず社長の言葉を遮ってしもてん。そして、校正が終るまでじっと待ってはった社長の仰ったことは…。

 「現代の医学ではもう手の施しようがない、無理に手術をしても良い結果は得られないから、このまま、残された命を大切に過ごしなさいって言われちゃった。しかも、年単位じゃなく、あと数ヵ月しか生きられないようなんだ。オレ、90歳まで生きるつもりだったのに、残念だよ。せめてあと10年、いや5年でもいい、生きたいなぁ…」。私が喉から絞り出すようにしてやっと発することのできたんは、「そうですか」の一言だけでした。
泣いてる暇なんかないねん!
 お医者さんが救うことのでけへん命を、私が救えるはずもありませんが、居ても立ってもおれず、私はそれから毎朝、出勤前に近くの神社にお参りをすることにしました。「神さま、社長はこれまで世のため人のために一生懸命尽くして来はりました。けど、まだ志半ば、今死なれたら困るんです」必死に祈る私を、他の参拝客が怪訝そうに見てはるようでした。「私、社長のために命を捧げても惜しいことないけど、私が身代わりに死んだら、今度は社長が困らはります。そやから神さま、私の寿命を5年でも10年でも削って、社長に分けてあげて欲しいんです。どうかお願いします…」。そして私は、いくつものお札やお守りを、社長の周りのありとあらゆるところに、社長に気付かれんように忍ばせました。

 けど、こんな神だのみだけで物事が解決したら誰も苦労はせえへんね。私の最も重要な役割は、社長と会社を守るため、現実に正面から立ち向ぅて一つひとつに対処していくことでした。私には、泣きわめいたり、うろたえたりする暇はありませんでした。私はまず、社員がパニックに陥らんよう、社長の病気は必ず治るという前提で、電話や問合せへの対応をマニュアルにまとめました。そして、私の感情の起伏が悪い雰囲気を作らんように、常に明るう振舞うように心掛けててんけど、実はこれが一番しんどいことでした。

 そんな時、社長が日頃から篤い信頼を寄せてはった数人の仕事仲間が、秘密を厳守しつつ、親身になって私の相談に乗ったり、励ましてくれはったんは涙が出るほどありがたいことでした。「今、会社を支えられるのはあんただけやから、気をしっかり持つんや。それから、社長にとっては、あんたの笑顔が一番の薬やいうことを忘れたらあかんで」。
社長の涙
 社長は、自分の余命を告げられてからも、極めて冷静に日常の仕事をこなしてはりました。けど、ぼちぼち自覚症状が出始めて、顔色もどことなく優れへんのに、何も知らんと訪れる大勢のお客さんとにこやかに談笑してはるのを傍で見てたら、こっちの方が辛ぅて…。その上、私がちょっと咳でもしようもんなら、風邪やないかと心配してくれはるし、社長と一緒に戦いたいと思ぅて、長かった髪をばっさり切った私を見て、「君、髪型を変えたんだな。美貌がよけい引き立つよ」て、やさしい顔で冗談まで言いはるねん。

 「社長の病気のこと、全く気が付かんですんませんでした」「本人でさえ気付かなかったんだから無理はない。ここまで来たのも、全ては仏さまのお導きなんだ。オレがまだ世の中に必要ならば、仏さまは生かして下さる。そして、必要なければ死ぬだけさ」。

 「だけど、母が意識不明のままで、オレの病状を知らないのがせめてもの救いだよ」 (こんな時こそ、お母さんに最も甘えたいやろに…)。「私、社長のお母さんは大好きやし、尊敬してます。けど、いくら仲のええ母子でも、息子を天国へ道連れにしたらいやや。社長を愛してはるんやったら、今回だけは、お母さんが社長の身代わりになって欲しいねん」…社長を思うあまり、つい心無いことを口走ったのを後悔しても後の祭り。社長がうっすらと涙を浮かべはったんを見たのは、後にも先にも、その一度きりでした。
社長、また、明日ね…
 現代医学に見放されても、社長は最後まで望みを捨てず、奥さんが探してきはったある民間療法に全てをかける決心をしはったんです。その療法は、早朝から就寝ぎりぎりまで細かな時間割があり、食べ物は数種類の野菜以外は一切口にせえへんという、まるで禅宗の荒行のようなもんやったけど、社長の意志は驚くほど強固でした。その時の社長を支えてたんは、ともかく生き続けたいという執念以外の何ものでもなかってんやろね…。

 そんな努力が功を奏してか、数日のうちに社長の顔には見る見る赤味が差し、自覚症状も嘘のように改善されて来てんてぇ。「オレ、この治療を続けたら本当に治っちゃうかも知れない。そしたらすごい闘病記が書けるぞぉ」「それ、ベストセラー間違いなしやわ〜♪」。こうして、社長の病状の微妙な変化に一喜一憂を繰り返す毎日でした。

 その日、社長は夕方までかかって1本の原稿を仕上げはりました。「最近、集中力がなくなって文を書くスピードが落ちちゃった。今日はもう帰るから、すまんがこの原稿をチェックして編集に回しておいてくれるか。かなり体調が良くなってきたから、来週の月曜日の帰りにでも、君と、ゆっくり今後のことを話そう」。…そう言い残して事務所を出た社長を見送った直後、私は無性に社長が恋しいなって、バタバタと廊下を走って、エレベーターを待つ社長に追いつきました。「ん? どうしたぁ?」。

 厳しい食餌療法のせいで急激に痩せた社長は、コートの肩が落ちて、一回りも二回りも小さくなったように見えました。息子が死の淵に立たされてることも知らんお母さんの代りに、社長を抱き締めてあげたい衝動をやっとのことで抑えながら、私は思わず両手を社長に差し出しました。そしたら社長は、それに応えるように、両手で私の手をしっかりと包み込んで下さいました。

 思えば、長いことお仕えして来た割に、社長と握手をしたんはこの時が初めてでした。社長の掌は、ちょっと冷たいのが気にはなったけど、重い病に冒されてるとはとても思えんほど、ふっくらとして柔らかでした。

 「社長、気ぃつけて。ほな、また明日ね」「うん、そうだな。また、明日」…。
つづく
(March 2004)

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