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第38回 (最終回) オー! マイ ボス!!  完結編
私、幸せやったわぁ
小山美穂
 「おはよう! 今日も体調がいいから、いつものように昼から出勤するよ」。翌朝も、受話器越しの社長の声は、病気のことをこれっぽちも感じさせんほど明るく爽やかでした。ところが、昼をとうに過ぎ、夕方近くになっても、社長は一向に来はる様子がないねん。激しい胸騒ぎを覚えて社長の自宅に電話を入れると、「すまんすまん。少し眩暈(めまい)がするから、大事を取って休むよ」やてぇ。「あぁ、その程度でよかったわぁ。今日はおとなしいに寝といて下さいね」
 …けど実はその時、社長は容態が急変し、大量の血を吐いて七転八倒の苦しみやったのに、私に心配をかけまいと平静を装ぅてはったことを、私としたことが、電話の声から全く察知することがでけへんかったんです。しかも、まんの悪いことに、奥さんは習い事に出てはって、社長は家で1人きりやったやなんて…!
これ、夢やのん、現実やのん…?
 次の日、私は早朝の電話で叩き起こされました。「もしもし小山さん…」「あ、奥さん…」「…夫は、もうこの世にいないの」(えっ? 今、なに言わはったん? 社長とは昨日、電話で喋ったとこやないの!)。けど、電話口でわっと泣き崩れる奥さんの様子から、私は、それが紛れもない事実やということを認めざるを得ませんでした。余命を告げられてから2週間、救急車で病院に運ばれてから数時間後の、あまりにも唐突であっけない最期でした。

 人間は、許容範囲を越えたショックを受けると、全身の感覚が麻痺して無痛状態に陥るという不思議なメカニズムを、私はこの時、生まれて初めて体験しました。私は自分でも驚くほど冷静に、身近な数人に電話で第一報を入れた後、事務所に向かいました。そして、関係先に一通りの連絡が終った頃、ぼつぼつと社員たちが出勤してきました。

 「社長が死にはってん」…曖昧な表現はかえって皆を混乱させると思い、私はあえてストレートに告げました。「うそっ…!」凍りつく社員…「いや、うそやないねん」。社員たちの驚愕の表情をボーッと眺めながら、私は、この非常事態に何からどう処理すべきかという現実的な問題で、すでに頭の中が一杯でした。けど、ありがたいことに、ちょうどそこへ社長と親しかった近くの大手企業の部長さんが駆け付けて、次々と的確な指示を与えてくれはってんよ。私、この時のご恩は一生忘れることはないと思います。

 とりあえず、皆には予定通り取材や営業に出るよう指示し、私が最初に取った行動は銀行へ走ることでした。なんと冷たい部下やと思わはるでしょ。けど、社長がおらんでも会社は動かさなあかんし、社員も守らなあかん。そのためには当面の資金繰りが絶対必要でした。次は遺影の準備。「この写真、写りがいいからオレが死んだら遺影にしてくれよ♪」…そんな冗談、間違ぅても言うもんやないわ! ほんの数ヵ月前、御堂筋を2人で散策しながら私が撮った社長の写真は、こぼれるような笑顔の自然なショット。当時の楽しい会話が鮮明に蘇り、一瞬、私の胸は熱ぅなりました。

 けど今は、思い出に浸ってる場合やない。社長の家で、奥さんと一緒に葬儀屋さんとの打合せ…すぐに事務所に戻って弔問客の応対…。「小山君、滅多な気を起こしたらあかんで」「大丈夫、社長と心中するような関係やありません」。「資金繰りは大丈夫か」「はい、大きな財産もない代わり、借金もありません」…私の心身は夢と現実のはざまにあって、何か得体の知れん大きな力に突き動かされるように、次から次へ事を運んでたように思います。
社長、私、どないしたらええの…?
 慌ただしく迎えた葬儀の朝、誰よりも早ぅに式場に入った私は、広い会場にポツンと安置された白い棺に眠る社長と2人っきりでした。

 「社長、こないだ握手して別れる時、 “来週の月曜日に今後のことを話そう”て言うてはったね。今日が約束の月曜日やよ」…微かに笑みをたたえた唇からは、今にも声が聞こえそうやけど、瞼は硬ぅに閉じられて、二度と目を覚ますことはないように見えました。「社長、これから私に、どないせえて言うつもりやったん? 教えて!」

 …すっかり冷とうなった社長の顔をピタピタ叩いた時、それまで麻痺してた感情が一気にこみ上げ、思わず私の両眼からボロボロ涙がこぼれて、社長の頬を濡らしました。きっとその時、社長と私は、2人で泣いてたんやと思います。

 どれだけの時間そうしてたやろ…「こら、しっかりせえ。あんたが悲しんでたら、社長、安心して天国へ行かれへん」。気が付いたら、例の部長さんが、ちょっと前から傍らで私の様子を見守ってくれてはったようでした。「今日は、ボスに相応しい立派な葬儀になるように、しっかり最後のご奉公をするんやで」。部長さんの優しく厳しい言葉で我に返った私は、お蔭で、それまでの生涯で最も辛く悲しい別れの儀式で、笑顔さえ見せる心の余裕が出来ました。
大変なんは、これからや
 けど、ほんまに大変なんはそれからでした。会社の内情も知らんと今後の経営に意見する人、合併を持ちかけて来る人、次期社長を紹介してくれる人…社長不在の零細企業は、荒海に投げ出された筏よりも脆弱な存在でした。けど実は、誰が何と言おうと、私の心はすでに決まっててん。それは、社長を最も理解する人らが口をそろえて助言してくれたのと同じ考えでした。「あんたとこの会社は、社長の人格と信用が全てやった。社長の功績を汚しとぅなかったら、一刻も早く、あんたの手で会社の幕を引くことや」。そして、大部分の社員もその考えに賛同してくれました。「社長の魅力に惹かれてたんは僕らも同じです。小山さんが皆のためを思ってくれているのがわかるから、その考えに従います」。

 とはいうものの、青春時代の大部分を過ごした会社を、自分の手で閉めるというほど辛い仕事はなかったわぁ。私は、社長の書きかけやった原稿を、生前の社長を思い起こしながら完成させ、各界の皆さんから寄せられた追悼文とともに、最後の新聞に掲載しました。そして、お客様に対する責任を果たすため、進行中やった仕事を社員で分け合い、私自身も一部の仕事を引き継がせてもらうことにしました。本家の暖簾は降ろしても、暖簾分けした小さなお店が、それぞれの道で再び発展することを願ぅて…。

 けど、このまま美しく幕を引けるほど世の中は甘いことありません。こういう時は、突然出てきた関係者とのもめごとがつきものでしょ。会社のことを隅から隅まで熟知してたばっかりに、私はそういう人らに気持が通じんと、随分えらい目にも遭いましたけど、そこはボスに免じて、詳しい話は控えさせてもらうわね。それに、社長を失ぅた悲しみに比べたら、少々の辛さなんてなんでもあれへんしね。
私、ほんまに幸せやったわ…
 時が悲しみを癒やすて言われますけど、私、それはちゃうと思います。それどころか、時が経つに連れ、失ぅたものの大きさを痛感し、悲しみが募っていくもんやと思うねん。けど、親でも兄弟でもなく、旦那さんでも親友でもない特別な存在として、社長は今も私の心の中に生き続け、困った時にはそっとヒントを与えてくれたり、ええことがあったら一緒に喜んでくれたりするねんよ。

 広大な北の大地で生まれ育ち、大らかで美しい心を持ち続け、世のため人のために生涯尽くしはった社長の下で精一杯働かせてもろたことは、私にとって何ものにも代えがたい宝であり、誇りやねん。そして社長は最期に、「これからはオレに頼らずに、自分の足で立ち、自分の目で見て判断し、信ずる方向に思い切って進むんだ。そうすれば必ず道は開ける」と体を張って教えて下さったんやと信じてるんですよ。

 今日も社長は、小さなフォトスタンドの中から、昔と変われへん満面の笑みで私に語りかけはるねん。「相変わらず頑張ってるようだな。周りの仲間たちが、ずいぶん君の力になってくれて、助かっただろう。みんなへの感謝の気持を忘れるんじゃないぞ。そして、オレからもよろしく伝えてくれ」「“人”と“真心”は、社長が残してくれた置き土産やもん、大事にしてるに決まってるやん。自分だけ天国へ行って、気楽なことばっかり言わんといて! 社長のお蔭で、ほんまにえらい目に遭うたわ」

 「あっはっは、そう怒るなよ。それより、今日はオレの誕生日だというのに、お供えはもらい物のチョコレートだけかぁ? 君、相変わらず倹約家だなぁ…」「よう見てから言うて下さいよぉ。今日は花も一輪買ぅて来たし、社長の好きやったミルクキャラメルも奮発してるでしょ〜」。

 「そうか、ありがとう…。会社のこと、全部放ったらかしでこっちに来ちゃって、悪かったなぁ。でも、いつまでもオレの遺影に向かって罵ってばかりいないで、そろそろ、昔の君らしい笑顔を見せてくれよ。たとえ辛い経験でも、人生には無駄なことなんて一つもないんだ。全てを人生の糧として、これからも前を向いて、オレの分まで元気で生きて行ってくれ。君なら大丈夫だ!…じゃ♪」
−おわり−
(26 April 2004)

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