目次 

第1回 知事の土俵入り、待った!

第2回 USJと、ほんまの大阪商人センス

第3回 奮闘! 大阪モードの仕掛け人たち =上=

第4回 奮闘! 大阪モードの仕掛け人たち =下=

第5回 大阪は、こけてもただで起きひんでぇ!!

第6回 ストレスためんと、お金ためましょ!

第7回 『浪速の"いとはん"人情物語』[上]

第8回 『浪速の"いとはん"人情物語』[中]

第9回 『浪速の"いとはん"人情物語』[下の(1)]

第10回 『浪速の"いとはん"人情物語』[下の(2)]

第11回 新春恒例!女たちの”大阪・冬の陣”

第12回 夕陽に向かって涙した青春

第13回 みにくいアヒルの子

第14回 美穂の”九死に一生”事件ファイル

第15回 夏の日のおもいで

第16回 小春はん (その一)

第17回 小春はん (その二)

第18回 小春はん (その三)

第19回 小春はん (その四)

第20回 小春はん (その五)

第21回 小春はん (完結編)

第22回 浪花の“第九”はスケールがちゃう!

第23回 2003春夏大阪コレクションリポート

第24回 涙の胃カメラ物語

第25回 ああ審査員

第26回 縁は異なもの、宝物

第27回 男のロマン?

第28回 (その2) あんさん何者でんねん?

第29回 (その3)親バカならぬ"上司バカ"

第30回 (その4)英語やったら任せなさ〜い

第31回 (その5)愛される人になるんだ

第32回 (その6)社長さんのお友達

第33回 (その7)社長の寂しげな笑み

第34回 (その8)マザコン、半端やないよ

第35回 (その9)こんな社長でんねん

第36回 (その10)同志の関係

第37回 (その11)そんなん、嘘や!

第38回 完結編 私、幸せやったわぁ


大阪国際女子マラソンのコース地図
第11回 新春恒例!女たちの”大阪・冬の陣”
小山美穂
毎年1月最後の日曜日といえば、
 あぁ~急からしわぁ! 新春の声を聞いたら私、走りたぁて走りたぁて、居ても立ってもおられへんようになるねん。
…え? 「それ、師走とちゃうんか」て? いぃえ、12月に走らはるのは偉い先生方。大阪では、新年になったら女の人らが颯爽と風を切りながら、町の中を突っ走るんです!
長居陸上競技場(大阪市住吉区)

 毎年1月最後の日曜日といえば、大阪の中心部を舞台に繰り広げられる『大阪国際女子マラソン』、テレビなどでもご覧になったこと、ありますか? 今年6月のワールドカップ・サッカーの会場となる長居陸上競技場(大阪市住吉区)を発着点に、大阪城公園や中之島など、コース上には浪花(なにわ)の名所も数々出てきますが、この42.195㎞が、世界の女性トップランナーたちの熾烈な戦場になるねんよぉ! 女子マラソンでは世界初、国際陸連(IAAF)公認レースの伝統を持つ東京国際女子マラソンの生まれたのが79年。大阪はその3年後、82年に始まり、21回目の今年は、10月に韓国・釜山で行われる東アジア競技大会の代表選考会も兼ねてます。

 大阪にはその昔、毎日マラソンとか高校駅伝があったけど、交通事情が悪いのを理由に、マラソンは琵琶湖へ、駅伝は京都へ移ってしもて、以来20年間もマラソンのない時代が続きました。けど「それでは世界に通用する大都市になられへん」ていう民間団体の強い働きかけがあり、大阪府警や行政も協力して女子マラソンが実現したていう苦労話もあるそうです。

 20年前の第1回、大阪・馬場(ばんば)町あたりの沿道で初めて女子マラソンを観たときの感激…今も情景が甦ってきます。なにしろ、すぐ目の前を“ほんまもん”の有名選手たちがビュンビュン走り、その息遣いや足音まではっきり聞こえて来るねんもん。ただちょっと残念やったんは、当時は13ヵ国から21人の海外招待選手を含めても142人、と参加者が今大会の4割にも満てへんほど、女子マラソンの選手層自体が薄かった中で、日本にも強い選手が少なかったこと。上位は当然、み~んな外国人、日本マラソン界の女王といわれた佐々木七恵さんが大健闘の末、辛うじて11位でした。今はレース解説でもお馴染みの増田明美さんが2位になった3年目くらいから、日本勢の活躍も目立ち始めました。背景は84年ロサンゼルス大会から女子マラソンが五輪の正式種目になったこと。大阪国際も東京、名古屋と並ぶ女子マラソンの五輪代表選考レースに指定されています。2000年シドニー五輪金メダルの高橋尚子選手はもちろん、92年バルセロナ銀、96年アトランタ銅の五輪2大会連続メダリストの有森裕子さんなども、まずはここ大阪で自分の実力をいかんなく発揮することから、世界へ羽ばたくきっかけを掴んでいかはったんですよ。
数あるシティマラソンの中で、大阪市民の声援は№1や
高橋尚子選手
 実は、イギリスのママさんランナーで当時42歳のスミス選手が第1回東京国際女子マラソンで優勝したり、大阪でも一般から参加した東大阪の50歳代の主婦が完走する姿を目の当たりにして、私も従姉(いとこ)とマラソンの早朝練習を始めたことがありました。結局1ヵ月で従姉が(…私とちゃうよ、決して)ギブアップして、レースへの参加は儚(はかな)い夢に終ってしもたけど、その代わり、応援だけは初めっから欠かしたことありませんよ~。なにしろ、闘争心旺盛な妙齢の女性ばっかり5人で、私設応援団(?)を結成してるぐらいやからね! 「数あるシティマラソンの中で、大阪市民の声援は№1や」て、日本だけと違ぅて、外国の選手も口をそろえて言わはります。それが証拠に、ちょっと出遅れたら観戦場所探すのん大変やもん。

 そやけど私ら応援団は、長年の研究の結果、ちょっと人がまばらになる穴場のイタ飯屋さんで先頭集団を待ち、先導のパトカーが見えたらおもむろに沿道に出るという、お洒落で優雅な応援合戦を実践してるねんよ。レースに熱中するうち、周囲の人らとの会話も知らず知らずに弾む、これがまた面白いねん!私らがワァワァ応援してたら、必ずラジオを持った初老の男性なんかが寄ってきて、「次の集団は、3分遅れらしぃでっせぇ」て“実況中継”してくれたり、選手の所属企業や外国人選手のややこしい名前を親切に教えてくれたり…。そうかと思ぅたら、スポーツ記者かと思うぐらい詳しい解説してくれる人が、突然現れたりもするねんよ。「小山ちゃん、あんたさっきから親しそうに喋ってるけど、その人、知り合いなん?」「ううん、今初めて会うた人…」。
何とかしたげてぇな
 けど、勝負は何が起こるか、ほんまにわかれへんねぇ。数年前、優勝候補と目されていたアフリカ某国の選手が、私らの目の前で突然、道路に倒れこむアクシデントがありました。細長い手足を折りたたむように苦しんでる姿に、沿道の人らは一瞬どよめき、あとはどうしようもなく遠巻きに見守るだけ。こんな時に限って、係員がなかなか来えへんねん。しびれを切らした友人が私に言いました。「小山ちゃん、こん中で英語わかるのん、あんただけやろ。早よ行って、どないしたんか聞いたげてぇな」「そやけど、あの選手、どう見ても英語しゃべる顔とちゃうんちゃう?」「アホかいな、顔は関係ないやろ!」「けど、下手に体に触れたりして失格になったら、えらいことやし…」。そしたら、周りの人らまで「そんなこと言わんと小山ちゃん(え、なんで私の名前知ったはるのん??)、何とかしたげてぇな」て私を頼らはるねん。

 イライラして待つこと数分、やっと救護車が到着しました。けど、車から出てきた係員は、また、どう見ても英語しゃべりそうもないおっちゃん。どないしはるねんやろ…? そしたら係員さん、選手の目を見てちょっと微笑みながら、両腕で頭の上に「×」を作り、大きな声で一言「フィニッシュ?」(な…なんや、それだけかいな?!) けど、道路に座り込んでた選手は、安心したように大きくうなずき、係員に導かれて車に乗り込みました。「あ~よかったなぁ~!!」みんなから温かい大きな拍手が巻き起こりました。
大阪の人は誰も文句言いません
大阪国際女子マラソン”イメージソング”
1987年   夢よ急げ
88年   It’s Alright
89年   High-Heel Resistance
90年   Flower Revolution
91年   Arcadia
92年   Someday
93年   Running Wild
94年   風を追いかけて
95年   (震災の為に中止)
96年   Glory Days
97年   Liberty Bell
98年   Beyond the Win
99年   Beginning of the Time
2000年   自由になるために
01年   Change the wind
 大阪のコースで、私の一番のお気に入りは、やっぱりメインストリート・御堂筋やねぇ。話はちょっと脱線しますけど、大阪は江戸時代から水の都と呼ばれ、河川や堀を利用した水運が盛んやった代わり、大正時代までは広い道路がありませんでした。そこで、梅田から難波までの約4㎞の間に、幅がそれまでの約7倍、44mもある御堂筋を作ることになりました。昭和8年にまず地下鉄の工事が始まって、道路の方は4年後に完成しました。当時としては全国最大の街路事業やったそうです。

 市民も初めは、その広さに「船場のど真ん中に飛行場でも作る気ぃかいな?!」「こないに道路広げてもろたら、向かいの家が霞んで見えへんがな…」て、えらい驚いてたそうですけど、将来の交通量の増加を見通して、御堂筋建設の大英断を下したんは、ときの市長 関一(せき・はじめ)さんでした。それから65年後の今、御堂筋はビジネスの中心地であると同時に、800本を超える銀杏並木が、大阪を代表する景観のひとつになってます。四季折々の風情が味わえて紅葉の時期なんかほんまにロマンチックやよ~♪

 その御堂筋、多い時で1時間に3000台の交通量があるそうですけど、中でも淀屋橋から心斎橋の区間を通行止めにして世界のトップランナーに走ってもらうんやから、これもまた、大阪の大英断といえるでしょ。ただしその間、大阪市内の他の幹線道路は、ほんまはえらいことになってるねんけど、女子マラソンのためやから、大阪の人は誰も文句言いません。
 今年の大会は1月27日。外国招待8ヵ国10人、国内招待15人を含む総勢379人が、華麗に大阪の町を駆け抜けます。96年アトランタ五輪で優勝したファツマ・ロバ選手(エチオピア)や、マラソン日本歴代3位の記録を持ちながら、シドニー代表選考では高橋尚子選手に競り負けて1万mの代表に回った長距離の実力派、弘山晴美選手などなど、豪華で多彩な顔ぶれです。こたつに入ってテレビ観てるだけやったら面白ないよぉ。ぜひ一度、熱い戦いを肌で感じに来てちょうだいね!
(January 2002)
*資料〔コース順序〕 :
長居陸上競技場→大阪城公園→天満橋→北浜→大阪市役所→
(御堂筋)→ 新橋折り返し→淀屋橋(土佐堀通り)→天満橋→
大阪城公園→長居陸上競技場

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