目次 

第1回 知事の土俵入り、待った!

第2回 USJと、ほんまの大阪商人センス

第3回 奮闘! 大阪モードの仕掛け人たち =上=

第4回 奮闘! 大阪モードの仕掛け人たち =下=

第5回 大阪は、こけてもただで起きひんでぇ!!

第6回 ストレスためんと、お金ためましょ!

第7回 『浪速の"いとはん"人情物語』[上]

第8回 『浪速の"いとはん"人情物語』[中]

第9回 『浪速の"いとはん"人情物語』[下の(1)]

第10回 『浪速の"いとはん"人情物語』[下の(2)]

第11回 新春恒例!女たちの”大阪・冬の陣”

第12回 夕陽に向かって涙した青春

第13回 みにくいアヒルの子

第14回 美穂の”九死に一生”事件ファイル

第15回 夏の日のおもいで

第16回 小春はん (その一)

第17回 小春はん (その二)

第18回 小春はん (その三)

第19回 小春はん (その四)

第20回 小春はん (その五)

第21回 小春はん (完結編)

第22回 浪花の“第九”はスケールがちゃう!

第23回 2003春夏大阪コレクションリポート

第24回 涙の胃カメラ物語

第25回 ああ審査員

第26回 縁は異なもの、宝物

第27回 男のロマン?

第28回 (その2) あんさん何者でんねん?

第29回 (その3)親バカならぬ"上司バカ"

第30回 (その4)英語やったら任せなさ〜い

第31回 (その5)愛される人になるんだ

第32回 (その6)社長さんのお友達

第33回 (その7)社長の寂しげな笑み

第34回 (その8)マザコン、半端やないよ

第35回 (その9)こんな社長でんねん

第36回 (その10)同志の関係

第37回 (その11)そんなん、嘘や!

第38回 完結編 私、幸せやったわぁ

第15回 夏の日のおもいで
小山美穂
観光 ゆっくり優雅に過ごそうなぁ…
 バカンスのシーズン到来。毎年のことやけど、大勢の家族やカップルが海外旅行に出発しはるニュースを見てたら、日本はまだまだ豊かで平和な国やなぁ…て思いますね。かく言う私は、今でこそ休日は家で日頃のツケ(…何の?)を取り戻すのに必死という惨めな生活を送ってますが、20代から30代のうら若き乙女の頃は、仕事や家庭に疲れた悪友同士4人のグループで、数年毎に海外旅行に行くのを楽しみにしてました。けど、そこは倹約家の女ばっかり。いつも安もんのツアーとか、人の少ない辺鄙な場所を選んでは、行き当たりばったりの無計画な旅をするから、羽を伸ばしに行ってんのか、よけい疲れに行ってんのか分かれへんような珍道中の連続でした。

 ある年、グループで最年少の私が「ねぇ、たまにはハワイみたいな普通の観光地でゆっくり優雅に過ごそうなぁ…」と切り出しました。けど、石を投げたら日本人に当たるようなハワイはその場で却下、「それやったら、せめて綺麗な海が見たい」ていう私の切なる希望をいれて、サイパン島へ4泊5日の旅をすることになりました。両親から、「なんで第2次世界大戦を思い出すようなサイパン島なんか行くのん…」て嫌な顔されて、何となく幸先のええことない旅立ちでした。
サイパンやで〜〜
 抜けるような青い空。波打ち際のすぐそばで熱帯魚たちが遊ぶ美しい海に、私たちは「やっぱりサイパンにしてよかったね♪」と大満足でした。
 けど、みんな戦中派の親から同じようなこと言われて来たんやろね、最初に私たちが訪れたんは、巨大な岩に洞穴を掘って作られた日本陸軍基地跡と、陸軍病院跡でした。当時のまま保存される戦車や大砲の残骸を見て、「こんな島で、ただ気楽に遊ぶのは申し訳ない」ていう思いが頭をよぎり、私たちはすぐに、日本人が建てた近くの神社にお参りしました。

 とは言うても、せっかくの骨休め。翌日はレンタカーで熱帯植物園めぐりやドライブを楽しみました。サイパンでの運転は、ペーパードライバーの私には大変やったよ。生まれて初めての左ハンドルで、ギアチェンジに失敗してエンストはするし、方向指示器を出したつもりやのに、ワイパーが動いて洗剤がピュー。それでも私に運転を任せてくれた友人たちの寛大さは、その後の私の生き方に少なからず影響を与えたように思います。
ハ〜イ、ボク、マイケル
 あとは、シュノーケリングにスキューバダイビング、それから、「この歳で日焼けしたらシミになるでぇ」て気にしながらも、椰子の木の下で、夢に描いた通りの“普通”のリゾート気分を満喫しました。けど、なんか、いつもの旅に比べたら、もの足らんなぁ…。すると突然、短パン姿の金髪の若い男性が、微笑みながら話し掛けてきました。「ハ〜イ、ボク、マイケル」。揃いも揃ぅて競泳水着の、我ながらおぞましい姿の妙齢の女性軍団に何の用??「どこから来たの?」「どういう仲間?」「趣味は?」…暫く雑談をした彼は、やがて、バッグからおもむろに小さな缶を取り出して言いました。「この洗剤は新製品。今なら特別価格にしとくよ」。なにそれ〜? なんでわざわざ、サイパンの浜辺で洗剤なんか買わなあかんのん?! よう考えたら、若いみそらで私らをナンパするほどの物好き、いてるはずないもんね。私たちはマイケルを追い払い、しばらくその場で笑い転げてました。
島 巡 り
 翌日は、ヘリコプターで島巡りをすることにしました。案内役は、ボブという名の、阪神タイガースあたりに入団したら似合いそうな、40半ばの屈強な白人男性。「このヘリコプター、なんで扉ないのん?」「景色がよく見えるように、はずしたんだよ」「けど、落ちそうで怖いやん」。ボブはちょっと不満そうに、扉を取り付けてくれました。ボブは、最初にテニアン島に飛び、「あの“Atomic Bomb”と白い文字が書かれた所から、広島と長崎に原子爆弾を落としたB29が飛び立ったんだよ」などと、真剣な顔で説明してくれました。
2人っきりの荷物番
 「この後、どこに行きたい?」
 「え〜っと…人とナマコが少ない海岸がええわ」
 「だったら、テニアン島の北に、誰も来ないお勧めの無人島があるよ♪」

 ヘリコプターは、無人島の切り立った崖の下、羽根がつっかえるんとちゃうかと冷や冷やするほど狭い場所に、見事に着陸しました。建物も人も、何もない無人島は、「天国に一番近い島」ていう表現がぴったりくるような、別世界のような雰囲気でした。

 「僕が貴重品と荷物を見とくから(…けど、無人島には泥棒いてへんのんとちゃう?)、好きなだけ泳いできていいよ」。それを聞いて、友人たちはすぐさま海の方へ走って行きました。けど、疑い深い私は、もしもボブが持ち逃げでもしたら、この無人島で野垂れ死にせなあかんことになる思ぅて、結局ボブの監視を兼ねて、2人で荷物番をすることにしました。

 「僕の実家はカリフォルニアなんだけど、去年離婚してアメリカが嫌になり、一人でサイパンに来たんだ」「妻と暮らす10歳の息子が、将来は僕みたいなヘリコプターの操縦士になりたいと言っている」…友人たちを待つ間、ボブは私に、身の上話を詳しく語り続けました。私が楽しそうに相槌を打つのが嬉しかってんやろね。実は私、「誰かに聞いて欲しいねんやろな」と軽い気持やってんけどね。「ところでボブ、もう契約の時間、過ぎてるよ」「かめへんかめへん(…とは言わんかったと思うけど)。今日はもう仕事がないから、少々遅くなってもいいんだ」。ふ〜ん、そしたら甘えとこか…。
夢のような夕暮れにつつまれて
 泳ぎ疲れた友人たちが戻ってくると、ボブはクーラーボックスから、冷えたシャンパンとグラスを4つ取り出しました。「気の合うお客さんだけの大サービスだよ」「ボブは?」「操縦するから飲まない。記念撮影してあげるよ」。こんなお人好しのボブを一瞬でも疑ごうて申し訳なかったと思いつつ、私たちは無人島の夢のような夕暮れを堪能しました。別れ際、ボブは名残惜しそうに私に言いました。「ミホ、手紙を書くから、住所を教えて」。私は何の躊躇もなく、住所を書いたメモをボブに手渡しました。

 ところが…帰国した翌日、大きなダンボール箱が私の自宅に配達されました。中身は、特大サイズのカゴに生けた、何十本というトロピカルカラーの蘭の花。メッセージカードには一言“Thinking of You…Bob”。「あんた、一体、サイパンで何して来たん?」と、怪訝そうな母。「え? 別に何も…」。さらに追い討ちをかけるように、次の日曜日の早朝、電話が鳴りました。「ジャ…ジャスト・モーメント!」…「美穂、なんか外人が“ミホ〜、ミホ〜”言うてんでぇ!」と慌てる父。どうやって電話番号、調べたんやろ?!
あか〜ん
 「ミホ…今、何してんの?」「今、ボブと電話してるやんか」「あはは、そうか。僕もだね」…焦ってしもて、得意の冗談も冴えへんわぁ! その日以来、ボブは頻繁に長電話して来るようになり、挙句の果てに「結婚について真面目に考えたい。色んな障害も乗り越える自信がある」とまで言い始めてんよ! あかん、このままやったら取り返しのつけへんことになる! 困った私は、その意思がないことを伝えるため、できる限りの語彙を使ぅて丁寧に手紙を書きました。そして、数日後に受け取ったボブの返信には、「ミホの優しさを勘違いして本当にすまなかった。家族の人にも迷惑をかけた。だけど、ミホのことは一生忘れない。さようなら」とだけ、悲しげな文字で綴られてました。
ほんでもって エピローグ
 この時のショックゆうたら…。なんぼ遊びに行ってても、海外では日本人特有の曖昧な態度は禁物、それに「一期一会」ていう言葉があるように、二度と会うことのない旅先の出会いでも、誠心誠意尽くしてくれる人に、ええ加減な気持で接するほど失礼なことはないていうことを、私は嫌と言うほど思い知らされました。その時私にできたことは、「ああいうタイプの人はきっと立ち直りも早いやろな、そうであって欲しい!」と心をこめて願うことだけでした。

 大阪の都心は、当時も今も、しょっちゅうヘリコプターが飛んでます。この一件のあと暫くは、ヘリコプターが自宅の上空でホバリングしてたら、「ボブが迎えに来たんとちゃうやろか」て、思わずどこかに隠れたぁなることもようありました。今でもヘリコプターを見ると、あの失敗を反省し、同時に、「ボブの息子さんの夢が叶うて、今ごろどこかで、親子でヘリコプターを操縦してはったらええのになぁ…」て、ちょっと懐かしぃ思い出に浸ること、あるんですよ。
(May 2002)

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